尖石考古博物館(その二)- 仮面の女王

 大切な器などの貴重品を思い切り叩きつけて壊す機会があれば、さぞかし気分爽快だろう。日本にはこうした破壊行為を「厄祓い」と見なす風習がある。例えば日本各地のお寺などで行われる「厄よけ」の行事で、かわらけ(素焼きの器)を高いところから投げ落とす「かわらけ投げ」や、さらに壊してしまう「かわらけ割り」などもある。「取り憑いている悪いものを追い払う」目的で大切な器を壊すのだ。気分的には何となく共感できる行為だと思う。

 それと直接的につながっているかどうかは不明だが、縄文時代に作られた土偶や土器は、意図的に壊された形で発掘されることがほとんどだ。完全な形で掘り出されるケースはかなり珍しい。特に土偶の場合、壊すことを前提として作られたのではないかと思うくらいバラバラに壊されて、それぞれの小片が別な場所に埋められていることも多い。

 これにはたぶん、呪術的な意味があるのだろう。おそらく厄払いか、もしくは何かを祈願する目的があったに違いない。現代に生きているぼくたちにも、そんなメンタリティーが何となく受け継がれているような気がする。

 しかしそんな中で、珍しく破壊されずに発見された土偶もある。それが前回紹介した「縄文のビーナス」と、今回取り上げる「仮面の女王」なのだ。サイズも大きく造形的にも優れたこれら二つの土偶が、ほとんど破壊されずに掘り出されたのだ。そして二つとも国宝に指定されている。

 「仮面の女王」は、尖石考古博物館で「縄文のビーナス」と同じ部屋に展示されている。作られたのは寒冷化が始まって縄文文化が衰退に向かっている頃だった。つまり縄文のビーナスが作られた約 1000 年後のこと。

 博物館の展示では、「仮面の女王」が発掘されたときの様子がレプリカで再現されている。館長の守矢氏によると、仮面の女神は写真のように右足をもぎ取られた状態で出土したという。欠損部分が土偶の中空部分に布と一緒に押し込まれていたことから、偶然壊れたのではなく故意に破壊されていたことが判明した。発見状況から、亡くなった人の墓に副葬品として埋められたことがわかる。

 同じようにお面のような形で顔を表現している土偶は他にもあるのだが、仮面の女王の場合は頭部に仮面を縛り付けるヘッドギアまで表現されている。したがって儀式や呪術を行うために仮面を付けた女性を表現していることはほぼ間違いない。女性シャーマンなので、ある意味では女王なのかもしれない。その点が、女神あるいは地母神の姿だと思われる「縄文のビーナス」とは明らかに異なる。いずれにしても文字が残っていないので、作った縄文人の意図は想像するしかない。

 また、「縄文のビーナス」が粘土の塊なのに対して、仮面の女王は中が空洞になった中空土偶だ。そういった製作方法は別にして、ビーナスの方は生身の女性(あるいは女神様)を感じさせるのに対して、仮面の女王からぼくが受けるのは「死」のイメージだ。体の表面に意味ありげな文様が細かく施されていることも、縄文人の呪術的な強い思い入れが感じられる。

 次第に寒冷化する 4000 年前の八ヶ岳山麓。寒さの中で食料も少なくなり、毎日が死と隣り合わせの共同体生活。そうした先細りの厳しい状況の中で、縄文人が心の拠り所としたものがこの土偶に表現されているのだと想像する。

 博物館のすぐ裏には「与助尾根遺跡」があり、縄文時代の竪穴式住居が幾棟か再現されている。高原にたたずむかやぶき屋根が、澄み切った冬の空に映えてとても良い雰囲気なのだが、縄文時代の集落の姿が再現されているのかというと、それはうまくいってないようだ。

 これが遺跡の名称の元になった「尖石(とがりいし)」。博物館から歩いて五分ほどの土手の下にある。これは縄文遺跡とは全く無関係で、大きな石が少ないこの辺りの住民が、珍しい大石をご神体として祭ったものらしい。表面には、この石で刃物を研いだらしい痕跡も見られる。

 さて、二回に分けて紹介した尖石考古博物館だが、八ヶ岳山麓にはこの他にも非常に興味深い縄文時代の遺跡が数多く点在している。この辺りが縄文時代の遺跡が集中しているのには実は理由がある。近くの和田峠付近で良質の黒曜石が採れるのだ。当時の人々にとって、狩猟で使用する石器の材料となる黒曜石は、糸魚川の翡翠と並んで最も重要な交易品だった。

 和田峠の黒曜石は品質が良いので人気が高く、中部地方だけではなく、遠くは関東や東北の青森辺りまで運ばれていた。文字を持たなかった縄文人が、どんな方法で品物のやりとりをしていたのか興味が尽きない。

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