三月初旬、冷たい風が吹く日に「もう一つの中山道」とも呼ばれる初期中山道(Early Nakasendo)」を歩いた。
初期の中山道は現在のように塩尻を通るルートではなかった。江戸幕府が慶長6年(1601年)に江戸に通じる五街道を定めた当時、中山道は木曽の贄川宿を北に抜けたところで桜沢から東に向かい、牛首峠から小野宿を経て、さらに小野峠を越えて岡谷に抜けるルートを通っていた。
■ 青線:中山道 (Nakasendo after 1616)
■ 赤線:初期中山道 (Early Nakasendo 1601 – 1615)
地図上で見ると初期中山道は確かにショートカットなのだが、二つの峠(牛首峠と小野峠)を通過し、さらに道中に平地はほとんどない人家がまばらなコースだ。いかに距離が短いとはいえ、これにはかなり無理があった。その後1616年には現在の塩尻ルートが正式に中山道になり、初期中山道は廃道となった。
今回は、この初期中山道の諏訪側にあたる岡谷から、ちょうど中間地点にある小野宿までを歩いてみた。今ではほとんど使われることのないこの初期中山道がどんな姿になっているのか、ちょっと楽しみではある。
岡谷市内にある最初の分岐。ここから登り坂になり、有名な鶴舞公園のすぐ上を通過する。
道標と呼ぶにはあまりに寂しい。岡谷側にはこれが3箇所に設置されているが、今回はそのうち一つをスルーしてしまった。
高台から岡谷方面を振り返る。途中、何度も分岐があって間違いやすい。
小野峠に向かう林道の入口。土地の人の話では他にも二つほど入口があるらしい。どうも今回は分岐を一つ間違えたようで、少し遠回りをしてしまった。
宿返しの石仏。下諏訪宿にある「万治の石仏」によく似ている。この石仏に遭遇すれば、とりあえず間違えずに初期中山道を歩いていることになる。
気持ちの良い山道。
分岐の看板。
小野峠の石碑。
車道から歩いて10分ほどのところに立派な展望台がある。
遠景、松本方面。
木曽方面に向かう初期中山道と牛首峠が良く見える。
東の方向には諏訪湖が見える。
特別天然記念物の「しだれ栗」。奇怪な樹形の栗が山を埋め尽くしている。なかなか見られない光景だ。冬は葉がすべて落ちていて異様さが増している。歩いている人は全くおらず、この光景を独り占め状態だ。
小野公園の分岐で見た久しぶりの道標。
小野神社。この神社では、諏訪大社と同様に七年に一度の御柱(おんばしら)祭が行われる。