東信州の中山道は全部で十一宿だ。前回の記事では前半の七宿を紹介したが、今回の後半四宿はかなり様子が違う。まず標高が次第に高くなり、それにしたがって街道の雰囲気にも明らかな変化がみられる。浅間山を見ながら歩く高原の雰囲気とでも言おうか。
さらに、中山道と並行して「しなの鉄道」が走っているのも重要なポイントだ。上田方面から軽井沢へ向かって延びるこの鉄道があるおかげで、中山道を歩く我々にとってはフレキシブルな移動が可能になる。
さて、今回の出発点である小田井宿。「しなの鉄道」の御代田(みよた)駅がこの宿場跡の近くにある。写真は、その御代田駅から歩いて 5 分ほどのところにある「浅間縄文ミュージアム」だ。中山道からは少しそれてしまうが、浅間山の噴火の歴史がよく分かるので、この地域を理解する上で重要な施設だ。休憩がてら是非立ち寄って欲しい。
ミュージアムに展示されている浅間山のジオラマ。1108 年に発生した「天仁噴火」による「追分火砕流」は、小田井宿のあたりまで到達している。宿場はその当時まだ無かったが、1783年に起きた噴火では小田井宿でも大きな被害が出た。
小田井宿から追分宿までは、国道から外れた静かな道を歩くことができる。沿道には、こんなしゃれた宿泊施設が点在する。中山道の交通量は少ない。
別荘らしき建物が次第に増えてきて、その庭を眺めながら歩くのも楽しい。街路樹がしっかり植えられていて、歩道が涼しいのも嬉しい。
なだらかな登り坂が終わると追分宿となる。この宿場は、中山道のなかで最も標高が高い。中央に見えているのが「分去れの道標」で、ここが中山道と北国街道の分岐となる。中山道はしばらく国道 18 号と重複しているので、交通量の多い車道を歩くことになる。
その後、宿場町に入ると 18 号はバイパスとなるため、静かな宿場町を気持ちよく歩くことができる。古い街道の風情はないが、歩道がきれいに整備されていて雰囲気は良い。案内板やトイレなどの設備も十分だ。
堀辰雄文学記念館の入口。追分宿から軽井沢までは、すっと高原を歩いている気分だ。所々にこうした見どころがあって、時間があるときにまた来たくなる。
追分宿郷土館。木造の建物も立派だが、展示内容もなかなか充実している。枡形の茶屋「津軽屋」の一部を復元したコーナー、脇本陣や旅籠などを再現したジオラマも展示している。
沓掛宿は、中山道六十九次の中で唯一、元の地名が失われた宿場だ。現在の地名は「中軽井沢」という。この写真は「しなの鉄道」の中軽井沢駅。モダンな駅舎で、周辺の商店街にも宿場町の風情は全くない。それでも高原の道は木陰も多く、それなりに街道歩きを楽しむことができる。
駅近くのカフェ。ちょうど黄色の薔薇が満開で、薔薇マニアのぼくはついフラッと入りたくなった。
軽井沢宿への沿道にある近衛文麿の別荘。移築されたものだが、一昔前の高原別荘はこんな感じだったのかと、しばし見入ってしまった。別荘の庭園が公園になっている。木陰やトイレもあって休憩にはちょうど良い。
沿道にはしゃれたレストランやホテルなどが点在していて楽しめる。
いよいよ軽井沢宿が近づいてきた。ここは「六本辻ロータリー」。交差する道はいずれも並木道になっていて、夏でも涼しいことだろう。中山道の交通量はそれほど多くなくほとんどが自家用車だ。国道 18 号ではないのでトラックは少ない。
人気のレストランにできた行列。この日はちょうど新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除された翌日だった。
全国的に有名な「旧軽井沢銀座」。久しぶりに県外のお客様を受け入れた結果、ご覧のような賑わいに。ほぼ全員がマスクを着用しているが、この群衆を見るとちょっと不安になる。
この靴屋さんのある場所が本陣跡。この通りを行き交う人たちの中に、これが中山道だと言うことを知っている人が果たしてどれだけいることか。
旧軽銀座の中ほどにある老舗旅館「つるや」。
軽井沢駅。新幹線と「しなの鉄道」が乗り入れている。
駅の入口が二階にある珍しいタイプ。しなの鉄道の各駅停車を待ちながら、通過する最新型の新幹線列車を見るのは、なんとも不思議な気分だった。新幹線の開通によって、碓氷峠を通る在来線がなくなり、中山道歩きはちょっと不便になった。
梅雨が明けたら、軽井沢から碓氷峠を歩いて坂本宿まで行こうと思っている。これで中山道の難所をすべて制覇することになるので、とても楽しみだ。