忘れられない国(五) サイノへ飛ぶ

 スプリングペイン・エアフィールドは国内線専用で、ジェット機の発着はできない。それでも今朝は数機のプロペラ機が出発するらしく、入口周辺には例の「むりやり荷物係」の少年たちが何人かうろついている。僕が荷物を持って車から降りると、「ミスター・チン、ミスター・チン」と呼びかけながら荷物を持とうとする。東洋人なら、誰でもミスター・チンだと思っているのか。それとも西洋人から受け継いだ子供っぽい東洋人蔑視なのか。もちろん僕は無視して「お断り」の意思表示。

 80年代初頭のこの頃から、アフリカには中国企業がたくさん進出していた。郊外に建設中のアパート群で働いているのはほとんど中国人。市内でも中国人の姿をよく見かける。全く知らない外国人から「ミスター・チン」と呼びかけられるとどんな感じがするのか。親しい中国人の友達ができたらいつか聞いてみようと思いながら、いまだに果たせていない。

 さて、僕らが乗るのは定員6名のパイパー・チェロキー。かなり厳しい重量制限があるので、乗客一人一人の体重を量り、荷物の重さもしっかり計量する。踏み台を使ってまず主翼に昇り、そこから狭い機内に潜り込む。全員が座席に治まると、いよいよ出発。小さな単発機に乗るのは初めての経験なので、かなりワクワクする。


画像は euroga.org より。僕が乗ったものと同型機。

 見ると、オールソンが助手席に座っている。そこは副パイロットが座るシートなので、操縦桿も付いている。え! 副操縦士はいないの?
 しばらくすると、オールソンが、「いざという時には、俺がパイロットだぜ!」と得意げに言いながら、後部座席に収まっている僕に親指を立てて見せた。つまり、本物のパイロットが気絶あるいは死亡した場合には、素人パイロットによる着陸もあり得るということか。ちょっと信じられない。

 エンジンをかけると目の前のプロペラがゆっくりと回り始め、目覚めたばかりの肉食獣のように一瞬ブルンと体を揺さぶる。エンジンの回転が上がると思いの外騒音が大きく、機体全体がビリビリと振動する。パイロットと並んで座るオールソンは、パイロットに操縦の仕方についていろいろと尋ねている。えー、今さら・・・。

 離陸時の騒音はものすごく、おそらく老朽化しているためだろう、機体の各部や車輪部分からキシミ音が聞こえ、とても話をするどころではない。ゆっくりと滑走路の端まで移動すると、管制塔の許可が出たのを確認したとはとても思えない俊敏さで助走を開始。ぐんぐんと速度を増して、あっと言う間に飛び立った。行く手には黒っぽい嫌な感じの雲が見えている。

 パイパーチェロキーは、次第に高度を上げながらまっすぐに東を目指す。しばらくすると雲の中に入って視界がなくなり、そのうちに機体が激しく上下に揺れ始める。突き動かされるように浮き上がったかと思うと、傾きながら急に降下したり。おい、冗談じゃないよ。

 僕は不安な声で「大丈夫かな、いつもこんな風なんですか?」とオールソンに尋ねる。
 オールソンは、「今日はちょっとひどいな」と答えると、パイロットに向かって、「高度を下げて海岸に出た方がいいんじゃないか」と提案している。

 痩せて精悍な顔つきのアフリカン人パイロットは、「トライしてみるが、もしかすると今日は戻った方がいいかもしれない」と言いながら右方向に旋回し、徐々に高度を下げはじめる。
 海岸に出ると雨が降っている。でも視界は意外と遠くまで効いているようだ。おそらく地上50メートルほどだろうか、軽飛行機は低空を海岸線に沿って飛び続ける。次第に空が明るくなってきた。どうやら引き返さずに済みそうだ。

 小一時間そのまま飛ぶと、海岸に続いていた森が途絶え、緑の草原らしいものが見える。飛行機が左に旋回すると、そこがサイノの飛行場だった。滑走路は草がまばらに生えた黄色っぽい土で、おそらくラテライト(赤褐色の湿潤土壌。主として熱帯地域に分布する)だろう。

 飛行場と言うよりもただの細長い原っぱだ。だんだん近づくと、小石がたくさん落ちているのが見える。滑走路の表面はザラザラだ。所々に小さなくぼみもあって、滑らかな着陸が無理なことは一目瞭然。機体は小さくバウンドしてから黄色い砂埃を巻き上げる。

 なんとか着陸したようだ。機体からはガタガタという大きな振動が伝わってきた。
 「タイヤが外れそうですね」と大声で僕が言うとオールソンは、
 「いつだったか、車輪の足が折れて胴体着陸したこともあるよ。」とこともなげに答える。
 ここ何年かは墜落事故も起きていないという話だったが、飛行機から降りてホッとした僕は、緊張からの解放で軽いめまいを覚えた。
(つづく)

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