ここ二週間で御嶽山周辺は紅葉が始まり、飛騨高山も木曽路もすっかり涼しくなった。すでに秋の気配が濃厚。木曽の良さは、なんと言っても山の緑が深くて美しいことだが、秋にもあちこちにおすすめスポットが出現する。
今回は木曽福島から高山に向かって国道 361 号を進み、まず日帰り温泉施設「二本木の湯」に立ち寄る。そこから山道を進んで「唐沢の滝」を眺め、さらに山を登って展望台のある「地蔵峠」から御嶽山を見る。対向車にはまず出会わない山道を末川方面へ下り、元の 361 号線に戻る。
地蔵峠は「旧」国道361号線にある峠だが、木曽町から開田村へ抜ける“新”地蔵トンネルができて以来、すっかり影が薄くなってしまった。今では通る車も少なくなり、すっかり寂れている。僕自身も二本木の湯まではけっこう頻繁に来るのだが、そこから「唐沢の滝」まで足を伸ばすことは滅多にない。記憶をたどってみると、子供達を連れてきた十数年前が最後になる。さらに地蔵峠はというと、記憶が正しければおそらく 30 年ぶりになるかもしれない。
さて、木曽福島から361号線を高山方面に向かうと、20分ほどで「二本木の湯」の幟が賑やかにたなびく交差点に出る。看板には「天然炭酸泉シュワシュワ」なんて書いてある。・・・楽しみ楽しみ。
この交差点を左折すると10分ほどで、食事処や休憩所を併設したこじんまりした日帰り温泉施設「二本木の湯」に到着。定食や五平餅、さらに「すんき蕎麦」などが食べられる。畳敷きの休憩所では湯上がりの体が冷めるまでゆっくりゴロゴロできる。これがありがたい。
宣伝文句にもあるように、本当にシュワシュワの泡が体にたっぷり着く炭酸泉だ。体に着く泡の量では、白骨温泉の「泡ノ湯」を上回る。ただし観光客向けのオシャレな施設ではなく、完璧に「ジモ泉」の位置づけ。木曽福島駅から送迎のマイクロバスも出ており、木曽町中からじいちゃんばあちゃんがたくさん訪れる。「空いている時間」を見つけるのがなかなか難しく、朝早くから混んでいる日もある。ゆっくり入れるかどうかは運次第だ。
浴槽もそれほど大きくないので、10 人も入ると隙間を見つけるのが難しい。源泉が掛け流されている端っこのポイントは特等席で、一旦そこに座ると目をつむったままじっと動かないおじいさんも。行ったからには絶対に掛け流しポイントに座りたい僕は、寝たふりをしながらじっくりと待ち、おじいさんが上がったら速攻でベストポイントに移動する。
源泉は摂氏 15 度ほどの冷鉱泉だが、ミネラルが豊富でよく温まり、出た後は肌がさっぱりするのが特徴だ。木曽町の市街地にある旅館で温泉マークの付いている宿は、ここの温泉水をタンクローリーで運んで湧かしている。
冷鉱泉ではあるけれども(一応)源泉掛け流しで、湯船にたまった温泉を循環しながら加温するタイプ。木曽の温泉ではよくある方式で、シンプルだがこれはこれで優れたシステムだと思う。確かに「沸かし湯」には違いないのだが、(とりあえず)掛け流しであり、温泉好きを十分に満足させるツボを押さえている。リピーターや根強いファンが多い所以だ。
さて、二本木の湯を出て、旧道を 10 分ほど地蔵峠の方向に進むと道路端に駐車スペースと案内板が見える。見上げると何段にも別れて流れ落ちる大きな滝が遠目に見える。これが有名な唐沢の滝だ。なんと落差が 100 メートルもありなかなか壮観。三段ほどに分かれ、沢となって流れ下る。案内板の説明によると、整備される前は落差が130メートル以上あったらしい。
近くで見るとかなりの迫力だ。
車道ができる前の飛騨街道は、この滝のすぐ右側を滝に沿って直登していたらしい。そんな厳しい峠道を、旅人は荷物を背負って滝を見ながら登っていたのだろう。
清冽な滝の水しぶきを含む空気を堪能したら、車道に戻って地蔵峠に向かう。
こんな山道。所々薄暗いコーナーもあり、ちょっと不気味。対向車には一台も出会うことはなかった。ひとたび主要交通路から外れると、道という物はこんなに寂れるのだ。
さて地蔵峠だが、新地蔵トンネルができる前は、木曽福島から開田村へ抜けるにはこの峠を通るしかなかった。人々が徒歩で通った「飛騨街道」がこの峠を通り、当然ながら国道361号線もこの峠を通過していた。冬はこの峠道が通行不能になるため、当時の開田村は陸の孤島状態となった。
地蔵峠のてっぺんにあるお地蔵さん。
しばらく行くとテラス型の展望台が設けられていて、木々の間から御嶽山が見える。
峠を下ると末川地区に出る。高冷地である開田高原に大変な苦労をして水田を開いた中村彦三郎を称えて建てられた「稗田の碑」のそばには道祖神が並んでいる。ここから数分で、ENEOSのガソリンスタンドのある交差点で現在の 361 号線に合流する。
ガソリンスタンドの前には、観光案内所や開田郷土館などが並ぶ開田高原の中心といって良い場所がある。郷土館には道路脇に昔の森林鉄道で使っていたディーゼル機関車が展示されている。観光客などに人気の「開田高原アイスクリーム工房」もここにあり、足が短くてかわいい木曽馬と触れ合うことができる「木曽馬の里」も近い。
開田村は、北海道の旭川などより気温が低い日があるほど。まれに氷点下30度を下回ることもあり、気象情報で「日本で一番気温が低い地点」と報道される。さらに、昔は「日本のチベット」と呼ばれていたようだが、トンネルができて交通の便が良くなってからはそんな風に呼ばれることはなくなった。
開田村というと思い出すことがある。数年前に亡くなった僕のおやじから聞いた話だ。亡父は電信電話公社(現在の NTT)で働いていたので、電話関係の工事や仕事で木曽福島町から開田村へ行くことも多かった。松本市から転勤してきて、木曽の自然が気に入って定住してしまったおやじだが、開田村の「田舎ぶり」にはさすがに驚いていた。「言葉が通じなかった」というのだ。
おやじの話によると、電話作業に同行していた開田村出身の同僚が、近くの畑で作業していた知り合いのおじさんに話しかけたそうだ。それに答えたおじさんの言葉が「一言も聞き取れなかった」という。後で同僚に尋ねてみると、今年の農作物の出来具合がどうだとか言う世間話だったらしい。「開田村というのはすごいところだ」というのが開田村に対するおやじの第一印象だった。
さて、40年前には「日本のチベット」と呼ばれていた開田村のその後。現在ではすっかり木曽町の一部になってしまい、観光地としても多くの人が気軽に訪れるようになった。スキー場やゴルフ場もあり、ペンションなどの宿泊施設や別荘も多数。都会から移住してくる人も多い。四年前の御嶽山噴火の時には、火山灰をかぶってしまったキャベツや白菜を洗うというボランティアに、都会から若い人がたくさん来てくれたらしい。もちろん今では、ちゃんと日本語が通じる。