四角い巨石を積み重ねたような花崗岩の造形。その間を渦巻きながら流れる深い淵。岩の縁に立って下を流れる川面を見下ろすと足がすくみそうになる。なんとも不思議なこの絶景はどのようにしてできたのだろうか。
寝覚の床(ねざめのとこ)は一般に「巨石が木曽川に浸食された」地形だと言われている。しかし木曽川水系の中でもこんな光景が見られるのはここだけだ。一体、どんな条件が揃うとこんな風になるのか考えてみた。
まず前提条件として、木曽谷一帯の地層はほぼすべて花崗岩で構成されているいう事実がある。木曽駒ヶ岳の頂上から地底深くまで、ほとんどが 8000~9000 万年前に変成を受けた黒雲母花崗岩でできていて、それは車窓から見える木曽川の河原がとても白っぽいことからも分かる。地質学的には白亜紀に生成された「領家変成帯」だ。
そんな花崗岩を主体とする地層が、200 万年ほど前に始まった本州中央部の造山運動で隆起し始めた。隆起して盛り上がった大地が、長い年月をかけて木曽川に浸食されてできたのが木曽谷だ。ここまでは大雑把に言って 100 万年スケールの話である。
さてここで、寝覚の床の巨岩が地表に現れた年代がいつ頃なのか調べてみると、実は約 12,000 年前とかなり新しい。「宇宙線核種濃度」を使った筑波大学などの研究から判明しているのだ。その結果、平均下刻速度も 1000 年当たり 1.7m と非常に速い。
つまり、寝覚の床で見られる高さ 20 メートル近い壁面の浸食にかかった時間は「たったの一万年」ほど。だから縄文時代の初期にこの辺りに住み始めたぼくたちの祖先は、ほとんど削られていない「寝覚の床」の元になる大きな岩の上を、ゆっくりと流れる木曽川を見ていたに違いない。
上でも述べたように、木曽山脈が隆起をはじめたのは 100 万年単位の話なので、それに比べると、浸食された四角い巨岩が現れたのはごく最近のことだと言える。それでは、寝覚の床で「巨岩の浸食」が始まったきっかけは何だったのか。それはおそらく、東側の駒ヶ岳方面からの大規模な土石流による「川筋の移動」だと思われる。
写真の中央に見えているのが寝覚の床。大規模な土石流が起きる前の木曽川は、現在より少し東側、写真では向かって右側のたぶん国道 19 号が通っている辺りを流れていた。それが土石流によって西側に押しやられ、現在の場所まで移動したのだ。川が大きく二回にわたって蛇行している様子からも、東から西に押された様子が見て取れる。
寝覚の床があるカーブから西側には、硬い花崗岩の岩盤が高く盛り上がっているのが分かる。また東側からは、大量の土石流が押してきて高い河岸段丘が形成されている。両側から挟まれた木曽川は現在の流路に固定され、それ以後は花崗岩の岩盤を下へ下へと掘り進むしかなかった。
花崗岩の岩盤には、しばしば「方状摂理」が見られ、四角い箱状に亀裂が入っている。その割れ目に沿って岩盤が割れ、下へ下へと浸食が進んだのだ。
地質学には素人の僕がネットや文献を調べて書いた説明、なんとか理解して頂けただろうか。自分ではなんとなく納得しているが、実際に川筋が押される光景とか、方状摂理が割れながら浸食が進む状況など、頭の中で想像する限りではバーチャルに映像が浮かんでこない。一万年を早送りの動画で見られたらさぞかし楽しいだろうと思う。だれか CG で「木曽谷の 100 万年 – 寝覚の床ができるまで」なんていう映像を作ってくれないかな。