僕が乗ったエールアフリック航空のダグラスDC9が次第に高度を下げる。すると、それまで澄み渡っていた窓の外が一瞬で薄暗くなり視界はゼロになる。何となく期待していた明るく光る海岸線を見ながらの進入は叶わず。
やや変色して透明度の下がった旅客機の小窓に、音をたてて雨粒が当たる。軽いショックとバウンドの後に、DC9は無事に着陸した。機窓から見えるロバーツ国際空港の滑走路や管制塔、それに付随する空港施設の建物が雨に煙っている。
その国では唯一の国際空港なのだが、アジアやヨーロッパから直接乗り入れる便はおそらくない。僕もまずロンドンからヴァージン航空機に乗り、ジブラルタル経由でガーナのアクラに飛び、そこからさらにコートジボアールのアビジャンを経由して「ようやくたどり着いた」というのが実感。
建設当時はそれなりに素晴らしい空港施設だったに違いない。実際、滑走路は3000メートルもあって、スペースシャトルの緊急着陸用滑走路にも認定されている。しかし施設全体に手入れが行き届いていないのは一目瞭然。コンクリートの壁面には所々ひび割れが見られ、全体に薄汚れた印象。公共施設を管理する資金が不足しているのだろう。もっともこうした状況は、隣国のコートジボワールを除けばほとんどの西アフリカ諸国に共通している。
ここでちょっと脱線。この国に到着する前に経由してきたコートジボアールという国。英語名はアイボリーコースト(Ivory Coast:象牙海岸)という。僕が小学生の頃見ていた地図には国名が漢字で「象牙海岸」と表記されていたのが妙に印象に残っている。ついでに言うと、ガーナには黄金海岸があり、他にも穀物海岸、さらには奴隷海岸と呼ばれていた場所さえある。これらの土地は、黄金、穀物、そして奴隷を「輸出」していた基地だったということ。
欧米諸国で奴隷制が廃止されたのは19世紀半ば。つまりほんの150年ほど前まで、先進国と言われる国々が合法的に人身売買を行っていた。実に信じがたいことだが、我々人類は実に忘れやすい種なのだとつくづく思う。それでは奴隷制度の拡大はすべて欧米の責任なのか。実は、奴隷狩りはアフリカ現地の部族間紛争に元を発している。一部の強大な部族が周辺の弱小部族を侵略し、とらえた兵士を奴隷としてヨーロッパの商人に売り渡していた。欧米諸国は、「売っている物を買っただけだ」と開き直ることもできる。
さらにこうした部族間の争いが、なかなか治まらない現代のアフリカの混乱にまで続いているという見方もできる。特に、僕が「ようやくたどり着いた」その国の場合、アメリカ合衆国の解放奴隷が建国したという複雑な歴史があるのでなおさらだ。
数百年におよぶ部族間闘争と奴隷貿易。遠い昔に奴隷としてアメリカに売られた人々が、今度は統治者として原住民と対峙する。嘘みたいな話だがこれが現実。我々のように極東の島国でのんびり(ではないかもしれないが)暮らしてきた人種には想像できないような、先祖の血まみれの記憶が折り重なり複雑に絡み合っている。内戦が起きて当然の環境なのかもしれない。
さて、話を僕が乗ったDC9に戻そう。着陸してしばらくすると、独特の訛りのある英語の機長アナウンスが聞こえた。僕の座席からほんの数メートルのところにあるドアが突然開け放たれる。空調で涼しかった機内に、湿った生暖かい大気がどっと流れ込んでくる。初めて呼吸するその国の大気だ。ほんのわずか草いきれの香りが混じっている。しかしそれも、待ちかねたように立ち上がって我先にと出口に急ぐ人々の動きにかき消された。
もちろん飛行機の出口と空港ターミナルを結ぶ通路などない。大勢の乗客に混じってタラップを降り、雨の中を50メートルほど離れた入国ロビーに向かう。ヨーロッパからこの国に到着した乗客(七割ほどがアフリカ系のようだ)の多くは、驚くほど大きな手荷物を両手一杯に抱えている。親戚や知人への土産物か、それともこちらで売りさばくための商品かもしれない。民族衣装らしい派手なプリントの布を体に巻き付けた女性客の一団が、帰国した喜びからか歩きながら大声で談笑している。
流れるように進んでいた入国監査の列がようやく僕の番になると、泥道にタイヤをとられたトラックのように唐突に止まってしまった。大柄な係官が僕のパスポートをパラパラとめくってみて、
「ちょっと待っていろ」と言いながら、パスポートを持って背後の別室に消えてしまった。
もう一人の係官が窓口から乗り出すように「次の方、どうぞ!」と叫ぶ。すると、後方で待っていた堂々とした体格のアフリカ女性が、僕の方をちらっと見ながら体を横にして通り抜け、大きな腰をまるで自慢するかのように横に突き出しながら、肘をカウンターについて窓口に立つ。彼女のはち切れそうな腕やむき出しの肩が、褐色の光を放っている。僕は自動的に脇に追いやられる。
仕方なく待っていると、入国手続きを待つ行列は僕のそばをどんどんと通り過ぎて行く。それが次第に短くなり、最後には僕だけがとり残された。粘着性の空気があたりに充満している。雨のせいか蒸し暑さがいよいよ増している。黴や動物の排泄物の臭い、それに人々が頭髪に塗りつけていると思われる油の臭いが加わって、僕は喉のあたりに焼けつくような違和感を覚えた。
(つづく)