明治の文豪・島崎藤村の『夜明け前』を読む

 小説『夜明け前』の冒頭にある「木曽路はすべて山の中である」という一節は、特に小説好きでなくても一度は聞いたことがあるだろう。しかし二巻からなるこの長編小説を通読したことがある人はというと、それほど多くあるまい。明治の文豪、島崎藤村を郷土の偉人と仰ぐぼくら木曽の住民でさえそうなのだから、全国的には(特に若い人の間では)藤村の名前さえ知らない人が多いのだ。

 中山道の馬籠宿には「藤村記念館」という施設がある。馬籠宿といえば木曽谷でも最も集客力が高い観光地の一つだ。コロナ禍の前には、観光バスで大挙して訪れる中国人観光客が宿場町を埋め尽くしていたし、ショートパンツ姿で中山道を歩く欧米人が列をなしていた。しかしそうした外国人のほとんどは「藤村記念館」の前を素通りして行く。文学関係の地味な施設なので、はっきり言って注目度は高くない。

 しかし今回はあえてそんな「地味な」文学の世界にフォーカスしてみる。不思議なことに『夜明け前』は、日本が危機的な状況になればなるほど返って輝きを増す小説だ。つまり、コロナ禍の今だからこそ読みたい小説の一つだと言える。危機的な状況に対して、日本人はどのように反応するのか。舞台は幕末の木曽谷。江戸や横浜から遠く離れていながら、世の中の変化に驚くほど敏感に反応する人々。そんな宿場町を、水戸の天狗党が通過する・・・。

 明治維新から 140 年近くが経過しようとしている今、この作品を読むことによって、藤村がその力強い筆で描き出した近代日本の「夜明け」を見つめ直す。さらには現代の日本が世界の中で占める位置を再評価する。島崎藤村の『夜明け前』は、そんなふうに我々日本人が日本という国を見直すための基軸を提供してくれる、とても貴重な小説なのだ。

 妻籠の本陣跡。二度の大火で失われてしまった馬籠宿の本陣だが、忠実に復元されたこの妻籠の本陣を見れば、当時の建物の間取りや造りを想像できる。ぜひ見ておきたい貴重な歴史資料だ。『夜明け前』の舞台となった馬籠の本陣もこれとほぼ同様の建物だった。

 幕末期の大黒屋は酒造業を営む商家で、馬籠宿では本陣の島崎家と並んで宿場の運営に大きな力を持っていた。明治維新後に衰退した島崎家が東京へ移った関係で、島崎家の土地や古文書などの紙料はすべて大黒屋の大脇家が受け継いでいる。その大脇家の十代目当主、大脇兵衛門が残した「大黒屋日記」。藤村はこの日記を資料として『夜明け前』の執筆をはじめたと言われる。

 小説『夜明け前』の主人公「青山半蔵」は、島崎藤村(本名:島崎春樹)の実父、島崎正樹をモデルとしている。幕末に馬籠の本陣を預かる島崎家の当主として生を受けた正樹は、若くして国学に傾倒した。そして地域のリーダーとして本陣、問屋を運営しながら、幕府によって遮断されていた山と民衆の間を近づけ、自然な世の中を実現すべく活動した。

 しかし彼が思い描いた理想が維新政府によって実現することはなく、明るい「夜明け」を待ちわびる人々の期待は裏切られた。作品が指摘するように、夜明け前の暗い時代が続くことになったのである。また島崎家にもくらい時期が訪れることになる。当主の正樹自身が経済的に無能だったことから島崎家の財政も傾いてしまったのだ。その後、精神を病んだ正樹は座敷牢で無念の生涯を終える。

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