広重と英泉の合作になる浮世絵版画シリーズ「木曽海道六十九次」は、中山道の歴史をひもとく上で欠かすことのできない資料だ。宿場の絵を見ているだけでも十分に楽しめるが、描かれた時代的背景や当時の人々の生活に想いをはせることで楽しみが倍増する。
日本橋から京都まで全 69 宿のうち、渓斎英泉が担当したのが 24 宿、歌川広重が担当したのは残りの 45 宿だ。木曽周辺で見ると、塩尻、奈良井、藪原、馬籠の各宿場を英泉が描いており、評価の高い洗馬、宮ノ越などは広重の作になる。
さて、宮ノ越宿を描いたこの版画は、広重の中山道作品の中でも傑作の一つと言われる。モチーフの人物群を見ると、これがなかなか想像力をかき立ててくれる。「夜逃げする一家」ではないかという見立てをする人もいるほどで、鑑賞者はこの作品に強い物語性を感じるのだ。
先頭を歩くのはたぶん父親で、背中に小学生ぐらいの年齢の子供を背負っている。その後ろには乳飲み子を抱えた母親が続き、月を指さしながらその母親に話しかける女の子がいる。実際の空間として捉えると子供は背後を指さしているのだが、当時の浮世絵特有の「平面的」とも言うべき空間把握では、女の子が指さしているのは月である。
ところで、広重の風景画にはしばしば月が描かれるが、かなり自由に構図を作っているので、必ずしも実際の西や東といった方向を断定する材料にはならない。しかしここで、中空にかかる月が見えている方向が本当に南西だとすれば、この絵は宿場の外れにある葵橋(あおいばし)の北岸から、南方にある宿場を見ていることになるだろう。
また一家の服装を見ると、これは断じて夜逃げではない。素直に考えて、おそらく祭や法事などの行事で一日を過ごした一家が宿場近辺にある自宅に戻るところを描いたとぼくは見る。遠景には家路を急ぐ人物がもう一人見えていて、人家の藁葺き屋根とともにシルエットで描かれている。
これが現在の葵橋の北側から宮ノ越方向を見た風景。立派なコンクリート橋になってはいるが、周囲を見渡すと、この場所である可能性は高いと思われる。
橋のたもとには、小さな葵橋公園も整備されている。
これは岐阜県にある中山道の大湫宿付近に設置されている浮世絵のレプリカ。こういうものが中山道の各所に設置できる環境は羨ましい限り。葵ばし公園に広重の傑作「宮ノ越」のレプリカがあれば、中山道を歩く旅人への小さな「おもてなし」になるに違いない。