係官が姿を消してからからすでに10分以上。僕はまだ入国カウンターにいる。
オフィスの奥からは何も連絡がない。パスポートに不備があるのかな。ちょっと思い当たる節があるので、だんだん不安になる。何か要求みたいなものを出してくるのか。もしかすると現金?
実は、僕はいたって気が短い。待つこと(および待たされること)が大嫌い。だから車を運転していても、信号のあるルートはできるだけ避けて、多少は遠回りでも信号のない裏道を探すくらいだ。しかしこういう非常事態には、自分の気分を優先してはいけない。自制心を発揮しなければと自分に言い聞かせる。だんだんイライラして来るが、努めて平静を装う。
周囲には空港職員らしい人間や警備の兵隊が何人かいるだけだが、一方、出国手続きを越えた人々がいる向こう側は大変な混雑である。「ボスマン、ボスマン(旦那、旦那)」と叫びながら、頼まれててもいないのに、ビジネスマンらしい白人の荷物を奪って運ぼうとしている少年。
荷物を掴まれた白人の男は、「仕方ないな」というという感じで両手を広げ、若い男に荷物を渡す。荷物は一つではないので、さらに何人か少年が寄ってきて取り合いになる、といった騒動があちこちで繰り広げられている。チップの争奪戦だ。
次の飛行機が到着するまでにはまだ間があるらしく、しばらくすると入国ロビーは次第に落ち着いてきた。でも僕は、20分経ってもまだ窓口のそばで待たされている。
手持ちぶさたにその辺をブラブラしている少年が数人いる。任務があるのかないのか、辺りを睥睨しながら大股で歩き回る機関銃を持った兵隊もいる。ここ数年、常に戦時体制と言っても良いこの国では、当然ながら兵隊が威張っている。真面目そうなのも中にはいるが、目が血走っているやつとか、明らかに酔っぱらっている者もいる。
後になって知ったことだが、兵隊に下手に逆らうと即座に逮捕されることがある。ある同僚のイタリア人が、兵隊とちょっと口論になった。その結果、トイレもない(したがってものすごい臭気の)真っ暗な地下室に、数人の現地人と一緒に三日間監禁されたという。とにかく兵隊に対しては下手に出ておくのが無難だ。
そういえば、何年か前にクーデターがあり、当時の政府高官が大勢、海岸で杭に縛り付けられて処刑された。その場面の写真も公開されている。そんなことを思い出しながら、ぼんやりと空港ロビーを眺める。汚れて落書きが目立つ壁面、そこに飾ってある大統領らしい人物の、ベレー帽をかぶった軍服姿の肖像・・・。
三十分ほどたった頃、下っ端の職員らしい男が現れ、ようやくゲートを通ることが許された。見ると、やけに大きな木製のキャスター付きカートに荷物がいくつか積まれている。その中の一つは明らかに僕のスーツケース。その荷物を持って「もう、行っても良いか?」と尋ねる。
「ノー、ノー、ノー、ちょっと待て。」
「まだ何か調べることがあるのか?」
「知らないのか。初めて入国する外国人は書類申請が必要だから、500ドル支払え。」
「ん? そんな話は聞いたことがないぞ。入国許可書類もあるし、それにはちゃんと雇用者名が書いてあるじゃないか。それに第一、来たばかりで金は全然持ってない。」
僕がそう答えると、係官は(どうしようもない)という表情を浮かべながら、焦点の定まっていない目で書類に目を通し始めた。ここは我慢するしかない。
時差ぼけによる睡眠不足、それに加えてこの蒸し暑さ。僕は次第に思考停止状態に入ってきた。
しばらくして、「あ、そうだ。電話を借りて会社の誰かに来てもらおう。」と思いついた。考えてみれば当たり前なのだが、たぶん暑さで脳みそが機能していなかったのだろう。
電話をしてから待つこと小一時間。会社の担当者が現れた。名前はサングディさんというタンザニア人。サングディさんは快活そうな笑みを浮かべながら、僕の手を握って通り一遍の挨拶を交わしてから、「任せておけ」という表情を見せながら係官のいる小部屋へ入っていった。
ほんの数分で、二人は和やかに話しながら小部屋を出てきた。どうやら「交渉」が無事終了したらしい。ミスター・オフィサーは、さっきまでとはうって変わった柔和な表情を浮かべ、
「それで、ビジネスの方は順調かい?」などと言っている。
サングディも胸の辺りに水平に差し出した手をヒラヒラと回転させながら、
「スモール、スモール(この国独特の言い回しで「まあまあだ」と言うほどの意味)」と答えた。
空港から市内へ向かう一直線の舗装道路を、専属の運転手らしいベレー帽をかぶった男の運転するベンツが時速90マイル(約145キロ)で飛ばす。速度制限はないらしい。
「パスポートをとられてしまった時にはどうなるかと思いましたよ。お手数をかけて申し訳ありません。」と僕が言う。
「ザッツ、オーケイ。でもあなたが今日来たのでびっくりしました。迎えに来られなくて申し訳ありません。私が受けたファックスには、明日の便であなたが来られると書いてあったんです。空港ではとんでもない歓迎で、びっくりしたでしょう? これがこの国のシステムなんです」
「システムねぇ。ところで、ぼくを『釈放』してもらうのに、いくら払ったんですか?」
「あの親切なオフィサーは、最初は初期入国料として300ドル支払えと言いました」
「え、僕には確か500ドルと言ったような・・・」
「結局、50ドルまでまけさせました。本当は払う必要なんかないんですが、この国でやって行くにはあまり杓子定規じゃだめなんです。意地を張って正式にやろうとすると時間ばかりかかって仕事が片付きません。」
「なるほど・・・。でも、そのシステムって、はっきり言って『袖の下』ですよね。」
「それがこの国のシステムなんです。あなたもそのうち慣れますよ。」
それから二週間ほど、あのモンロー主義で有名なアメリカの第五代大統領、ジェームス・モンローに因んで命名された首都モンロビアに滞在した。この国で仕事をするために必要な手続きを行い、ビジネスの流れについて大まかな説明を受けた。具体的には、必要な資材の発注方法や作業員の雇用、さらには「システム」に関する学習などである。車の運転免許でさえ、相場に応じた金額を支払えば「システム」で簡単に入手することができた。まあ、便利と言えば便利だが・・・。
材木売買の関係者(ロガーと呼ぶ)の間では、売り物となる木が沢山ある熱帯雨林のことを「ブッシュ」と呼んでいる。僕は一日も早く喧噪のモンロビアを脱出したかった。もともと賑やかな場所があまり好きではない。早くブッシュで仕事がしたかった。
GM(ジェネラルマネージャー)のフレディ・オールソンにその旨を伝えると、あっさりとオーケーが出て、翌日には仕事場であるサイノへ向かうことになった。サイノは、この国に12あるカウンティ(郡)の一つで、まだまだ手つかずの熱帯雨林が残っている地域だ。
鬱蒼とした熱帯雨林、初めて見る動植物。ブッシュに分け入り、木を切り、港に運ぶ仕事だ。僕は期待に胸をふくらませながら、モンロビアでの最後の夜を過ごした。蒸し暑さ、喧噪、無秩序、混乱・・・。この町には三日もいればもううんざりだった。
(つづく)