新滝と清滝のご祭神 – 不動明王

 修験者たちが 1000 年以上にわたって御嶽山の登拝に使ってきた御嶽古道。その道沿いには荘厳な滝が点在し、今でも訪れるぼくらの目を楽しませてくれる。こうした滝は、実は修験者にとっては浄めの場であり、修行の場でもあった。だから単に瀑布として美しいだけでなく、修験者たちの凝縮された思いが辺りに漂う特別な場所になっている。

 修行の滝にほぼ必ずと言って良いほど奉られているのが「不動明王」。弘法大師(空海)が中国から将来した密教の尊像だ。不動明王は密教の根本尊である大日如来の化身であり、その恐ろしい形相は、煩悩を断つ強い意思を表している。厳しい修行の場であった滝の本尊としてふさわしい神様だと言えるだろう。ぼくのように「煩悩タップリ」な人間にとっては、ちょっと怖い存在でもある。

 不動明王は梵語(サンスクリット語)で「アチャラ・ナータ」(動かない者の意)。これはつまり「揺るぎなき守護者」を意味している。不動明王が右手に三鈷剣(さんこけん)と言う剣を持ち、左手に羂索(けんじゃく)という縄を持っているのは、多くの煩悩を抱える私たち人間を「力ずくで」救って仏の道へと導くためだ。

 これは御嶽神社里宮、本殿に向かう長い階段の中ほどにある「滝の口不動」。不動明王像の持っている剣に竜が巻き付いている。剣そのものが不動明王の化身であるとされており、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)と呼ばれる。また不動明王像は、このように炎の光背を背負っているのも特徴の一つだ。

 ぼくは最近、神社やお寺を訪れる度に不動明王像を探してしまうのだが、多くは天地眼(てんちげん)といって右目と左目を天と地に向けている。また口を見ると、牙上下出(がじょうげしゅつ)といって左右の牙を上下逆向きに出している。こうした表情は、像の造られた時代によって微妙に違っていて興味深い。

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