少し寒さが緩んだ二月中旬の午後、中山道の福島宿(木曽町)にある行人橋から、絶景スポットの紅葉ヶ丘(もみじがおか)に登り、さらに城跡と権現滝を巡って行人橋に戻るという人気のウォーキングコースを歩いた。今回は特に、戦国時代の城跡に注目してみたい。
戦国時代、現在の JR 木曽福島駅の近くに福島城があり、そこから谷を越えた向かいの山頂に「詰めの城」があった。今回訪れたのは、その山頂にある山城だ。近頃は戦国時代の山城が巷で静かなブームになっている。我が木曽町の山城は果たしてどんな様子なのか。ちなみに、この古い城跡がある山裾の地域は、今でも「城山(じょうやま)」と呼ばれている。
さて、ここがウォーキングの出発点となる行人橋(ぎょうにんばし)。御嶽登山の出発点でもあり、「御嶽古道」の道標が立っている。(この写真は春に撮影したもの)
今回歩いたコースの全体図。この図の中央下部分に行人橋が見えている。ここから興禅寺を通過して「現在地」のマークがある遊歩道入口へと向かう。
マーク地点から遊歩道に入る。作業用車両も通行可能な林道だが、あくまでも「遊歩道」なので一般のマイカーは通行できない。
落ち葉の積もった林道を歩くと、30 分ほどで絶景スポットの紅葉ヶ丘に到着。正面に木曽駒ヶ岳を望む。木曽谷と木曽駒ヶ岳を一望できる紅葉ヶ丘は、町民なら誰でも一度は訪れたことがある場所。最近では権現滝を見に訪れる外国人観光局も増えてきて、ポピュラーな場所になりつつある。
林道をそのまま進むと権現滝(ごんげんだき)へ向かうが、今日は城跡を見るので携帯電話基地局の下にある登山口を登る。
この時期、山道には落ち葉がたくさん積もっている。
分岐ごとに案内標識があるので迷うことはない。
かなりの急登だ。そのため道は九十九折りになっている。息を切らせながら 10 分ほど登ると稜線に出る。
これが権現滝方面から「一の郭(いちのくるわ)」に出る最後の坂道。主郭を防御する最後の砦なので、かなりの急勾配になっている。この急坂を下から攻め上るのは至難の業だ。
「一の郭(いちのくるわ)」というのは、言い換えれば「本丸」だが、山城の場合は立派な建物がある「城(しろ)」ではなく、いわゆる「砦(とりで)」なので、一の郭という呼び方のほうが良さそう。「本丸」という呼び方は近世(江戸時代以降)の城郭に使うのが一般的だ。
一の郭跡に設置されている案内板。この図を見ると堀切が各郭の間に設けてある様子がよく分かる。
堀切を横方向(掘が切ってある方向)から見た様子。稜線部分が深くえぐられているのが分かる。戦国時代の山城造営は、建築というよりも土木作業だったのだ。
堀切の底の部分に立ててある案内板。堀切ではなく「空堀(からぼり)」という表記になっている。しかし、山城の堀切を「空堀」とは呼ぶのはおかしい。平地に築かれた城郭の周りに巡らせた掘に、水が張られていない場合をそう呼ぶのが一般的なので。
三の郭(三の丸)に向かう尾根道。
三の郭跡。砦が使われていた当時は、さぞかし見晴らしの良い場所だったと思われる。天ヶ峯や山吹山の「狼煙台(のろしだい)」も良く見えたことだろう。これだけ太い木が茂ってしまうと伐採も難しい。
この「福島城」の俯瞰図は、城郭研究家、宮坂武男氏による図解『山城探訪』に掲載されているもの。林立する樹木が邪魔になって全体を見られないのが残念だ。
城跡から紅葉ガ丘に戻り、林道をさらに権現滝へと向かう。「もみじがおか」という名前からも察せられるように、この辺りは本当に紅葉が美しい場所だ。
参考までに、昨年の秋に撮影した風景を。これでも最盛期を少し過ぎている。
途中にある見どころの一つである「カツラの大木」。根回りは優に 1 メートルを超えている。
冬の権現滝。先日まではかなり凍結して氷瀑になっていた。真っ直ぐ落ちるのではなく、斜面を流れ落ちてくる滝だ。この場所は夏でも涼しく水は澄み切って冷たい。「権現滝(ごんげんだき)」という名称からも推察できるように、修験者の修行の場になっていた。この写真の左下辺りに、岩を穿って滝壺がつくられている。