メガネウラという名前の昆虫がいる。といっても三億年ほど前に生きていた古生物で、写真の通り「でっかいトンボ」だ。化石を調べてみると、左右の羽根の差し渡しが 70 センチを超えていたらしい。トンボと言えば、オニヤンマのようにできるだけ大きいのが好きな僕だが、メガネウラの実物を見たら、さすがにちょっと気持ち悪いだろうな。飛ぶときの羽音も、ものすごいに違いない。
カタカナで表記することが多い昆虫の名前。だから僕はこのメガネウラも、カマドウマ(竈馬)とか、ウスバカゲロウ(薄羽蜻蛉)などと同様、たとえば「眼鏡裡」などと書く日本語名なのだとぼんやり考えていた。「とんぼのめがねは・・・」という童謡があったことも影響している。でも何年か前に調べてみたら、実は「メガ・ネウラ」だった。
ウィキペディアによると、メガネウラとは(megas、メガース)と(neuron、ネウロン)からなる合成語である。メガはもちろん「大きい」という意味。そしてニューロンは「神経」だ。ここで neuron の元々の意味は「腱」であり、この場合は「翅脈(しみゃく)」を指す。
つまり、メガネウラとは「大きな翅脈を持つもの」という意味だ。さて、上の画像を見ると、メガネウラの目の部分(複眼)が現生のトンボよりも(体に比較して)やや小さいことに気付くだろう。巨大トンボ「メガネウラ」は絶滅したが、その後もトンボは三億年の長きにわたって進化を続け、現在のような姿になった。
頭部が「ほぼ目だらけ」である。なんでこんなに大きな目が必要なのだろう。ご存じのように、我々が「トンボの目玉」と呼んでいるものはたくさんの小さな個眼が集まった複眼だ。トンボの複眼は昆虫の中でも群を抜いて個眼の数が多く 20000 個以上も集まっている。
トンボがこんなに大きく美しい複眼を進化させたのは、飛行しながら獲物を捕らえるからだ。トンボは完全な肉食。しかも例えばスズメバチなど他の肉食昆虫のように陸上や樹上の獲物を捕らえるのではなく、飛翔しながら空中で他の虫を捕食する。あの 360 度見える超広角のでっかい複眼で、我々哺乳類の持っている「レンズ眼」とは比べものにならないくらいの広い視野と動体視力を実現しているのだ。
そしてトンボの特徴として一番注目したいのが、その飛翔能力の高さだ。体が大きい分、ずっと小さな蜂やハエなどと比べると敏捷性の点で劣るのは致し方ない。しかし最高速度はというと、あの赤とんぼでおなじみのアキアカネでさえ、時速 100km を超えるという。しかもホバリングができるし、中には大陸間を数千キロも飛んでしまう種類もいる。まさに、エアバス、F16戦闘機、オスプレイ、ヘリコプターをすべて足したような最強の飛行生物だと言える。
さて、星のおじさんがなぜ急にトンボの話を始めたのか。それは、最近になって「見かけるトンボの数が減っているな」と感じたからだ。数の減少が気になる生き物としては、先日このブログでも取り上げたライチョウがある。でも高山の特殊な環境に棲むライチョウとは違い、赤とんぼの場合は周囲に普通にいた昆虫だ。それがいなくなることは、僕らの生活環境に何らかの変化が生じているからに違いない。
ネットで調べてみると、やはり思ったとおり! 日本中でアキアカネやナツアカネが激減しているらしい。一部の県ではアキアカネが全く見られなくなったという。しかも原因は稲作農家が水田に撒く農薬である可能性が高い。もしかしてこれは「トンボ絶滅の危機」なのだろうか。すごく気になってきたので、近くにある親戚の田んぼへ出かけてトンボを観察することにした。
見つけた! 赤とんぼ。良かった、木曽ではまだ絶滅していなかった。
でもこの場所は水田の畦道ではない。近くに小川がある小さな畑だ。一方、稲が刈り取りを控えた水田の方には、トンボが全く見られない。やっぱり何かおかしいな。
アキアカネとナツアカネは見分けるのがけっこう難しい。体側に見られる模様から、これはナツアカネだと分かる。
これもナツアカネ。肝心のアキアカネを一匹も発見できなかったのが気になる。アキアカネには、暑い時期を高地で過ごして涼しくなってから里に帰ってくるという習性がある。まだ帰ってきてないのかな。それとも木曽にはもういなくなってしまったのか・・・。
羽根の先端に茶色の模様がある「コシメトンボ」も何匹かみつけた。撮影には失敗したが、シオカラトンボも一匹だけ見ることができた。昔のように、農作業をする我々の上をそれこそうるさいくらいたくさん飛んでいた赤とんぼ(たぶんアキアカネだった)を見ることはできなかった。
農道脇のガードレールに集まっている様子。この日、水田に沿って走る 500 メートルほどの農道の両側を見て歩いたが、トンボが群れているのは、広さにして 20 メートル四方のこの一箇所だけだった。すぐそばに、小さなため池と小川がある。たぶんヤゴはそこで成長したのだろう。
トンボ研究の第一人者である石川県立大学の上田哲行教授によると、地域によって差はあるものの、2000 年前後を境にして半数以上の府県でアキアカネの数が 1000 分の 1 以下に激減しているという。そして上田教授らの調査によって明らかになったアキアカネ激減の原因は、フィプロニルなど新農薬の普及だ。
これらの農薬は「浸透性殺虫剤」と呼ばれ、田んぼに植える前の苗に吸わせる。この農薬を吸収したイネの葉などを食べた昆虫を殺すのだ。トンボの幼虫であるヤゴは水中に棲息しているから、この農薬の影響をもろに受けると思われる。そして当然ながら、稲の先端に付いている「お米」にもこの農薬が含まれている。ヤゴが死んでしまうほどの農薬を、僕らも食べていることになる。うーん、このまま放っておいて良いのだろうか。
しかし稲作農家は従事者の高齢化という問題を抱えている。いくら米を作っても儲からないので跡継ぎもいない。だから、作業が楽な上に周辺に農薬を撒く必要もない「浸透性殺虫剤」に頼らざるを得ないのだろう。それに文句を付ける権利は、悲しいけれど僕にはなさそうだ。意を決して従兄に文句を言ったところで、「じゃあ、お前が一年中田んぼの世話をしてくれるのか!」と開き直られたら、僕はおそらく気圧されて「・・・でも生態系は一度壊れると元には戻らないし・・・」とかなんとか理屈を並べるのが精一杯だろう。
さて、日本は古来より秋津島(あきつしま)と呼ばれていた。『古事記』にも、本州を「大倭豊秋津島」とする記載がある。秋津というのはトンボ(蜻蛉)のことだ。神武天皇が国土を一望して、本州の形がトンボに似ていたから名付けたというが、いかに神武天皇といえども国土を空から一望できるはずはないので、これはもちろん作り話。
とんぼを「あきつ」と呼ぶのは「秋つ虫」=「秋の虫」から来ているというのが定説で、たぶんそれが正解だろう。秋になって稲が実るころになると、蜻蛉がたくさん群れて繁殖(交尾)しているのが見られた。それを見た人々にとって、なんともめでたく嬉しい光景だったに違いない。収穫、繁栄、豊穣といったプラスのイメージが蜻蛉と見事に重なった。
昭和四十年代に、稲刈りを手伝うような子供時代を過ごした僕らの世代も、あと三十年ほどでこの地上から消えてしまう。その後は、赤とんぼがいなくなったことさえ誰も気にしなくなるに違いない。寂しいけれど、これも単なる「おっさんのセンチメンタリズム」なのか。
コメント
[…] 木曽大橋の欄干で、今年初めて出会ったアキアカネ。梅雨が異常に長かったので、今年の秋はどれくらい見られるか心配だ。二年前に書いた記事「秋津、蜻蛉、赤とんぼ」。 […]