水月湖の奇跡 – その 5(「年輪」と「年縞」)

 水月湖の年縞は世界に誇る日本の宝だ。でも三方湖畔にある年縞博物館の知名度はというと、同じ福井県の勝山市にある「恐竜博物館」には遠く及ばず。扱っている対象が恐竜に比べるとずっと地味な「湖底の堆積物」なので、まあ仕方ないのかな。

 しかしそこはさすがに文化レベルが高い福井県だ。派手ではないが、一般の観光客にも分かりやすく、かつ考古学好きも満足させてくれる充実した施設となっている。しいて要望を上げさせてもらうと、年縞関連の展示を隣接する「若狭三方縄文博物館」の展示物とうまくリンクさせてもらいたいということ。

 さて、実際に年縞博物館をのぞいて見ると、いわゆる観光地の目玉的な博物館とは明らかに雰囲気が違う。見学者は、最初から地質学や考古学、あるいは自然環境に興味のある人が多いようだ。静かに会話しながら展示の細部まで興味深そうに見入っている二人組の中年女性、そして解説係の職員さんに真剣な表情で質問している大学生らしい男性。

 しばらくすると、若い外国人のグループが入ってきた。通訳を通して熱心に説明を聞き、盛んに質問している。さすがに「世界のレイク・スイゲツ」だな。自分が発見したわけでもないのに、日本人として何となく誇らしく感じてしまう。将来的にここは、古生物や地質などに興味のある人が世界中から訪れる「考古学の聖地」のような存在になるかもしれない。

 水月湖から垂直に掘り出した柱状コアを縦割りにしてそのまま展示すると、高さ 50 メートルのビルを建ててその中心に年縞を設置し、階段を上り下りしながら見学しなくてはならない。本当はその方が「湖底に積み重なっていたんだな」という実感が湧くかもしれない。さらにビルをもっと高くして、水月湖を再現した水槽まで載っければ、すごくリアルな展示物ができるだろう。でも建設には莫大な費用がかかりそう。

 だから展示では、写真のように年縞を 90°倒して水平に並べている。写真の奥の方、見学者が立っている辺りが最新の年縞(2014年に掘削した部分)で、 手前に来るにしたがってだんだんと時代をさかのぼり、最後は 7 万年前の年縞を見ることができる。

 さて、このシリーズの前々回(水月湖の奇跡 – その3)までは、水月湖を見たことのない僕が、中川毅先生による二冊の著作(『時を刻む湖』および『人類と気候の10万年史』)のほぼほぼ受け売りで書いてきたもの。

 しかし実際に年縞の標本をこの目で見てきたぼくは、これまでのぼくとはちょっと違う。「生の」年縞から受けたインパクトはかなり大きい。ここからは、このブログを初めて訪れた人で、過去ログを読む気は全くない人でも水月湖の年縞のことがよく分かるように書くつもりだ。最後まで読んでもらえてナンボなので・・・。


画像:Pixabayより

 上の写真は、見ての通り樹木を水平方向に切った断面。一本一本の輪がそれぞれ一年を示す同心円模様なのでぼくらはこれを「年輪」と呼ぶ。

 こちらが水月湖の「年縞」。同心円ではないが、縞模様であるという点では樹木の年輪と同じ。湖底に毎年少しずつ積み重なった堆積物を柱状の資料コアとして取り出し、それを縦に切ると断面にこうした縞模様が現れる。

 資料コアの断面からスライスした厚さ 1mm 以下の薄板に、特殊な樹脂加工を施してガラス板に固定し、これに裏側から照明を当てると上の写真のように美しい縞模様が浮かび上がる。

 この年縞の縞模様を見て、鋭い読者はすでに気付いたことだろう。そう、樹木年輪がほぼ等間隔で並び、さらにコントラストも高くて明瞭なのに比べて、年縞の縞模様はかなり不規則な上に、やや不明瞭である。

 樹木年輪は、たとえ 1 万年前のものであっても 1 年の狂いもなく正確な年代を示す。寒い冬には樹木の成長が遅くなるので色が濃くなり、夏には大きく成長するので白っぽくなる。こうした季節による温度変化が正確に繰り返されるからだ。

 それに比べると年縞は、気候や温度の変動、火山活動、中国大陸からの黄砂、さらには地震、洪水、台風など様々な影響を受けるため、単純な縞模様にならない。これを一年に一枚ずつ対応させるにはかなり高度な技術を要する。

 それでは、樹木年輪という正確無比の「もの差し」があるのに、なぜさらにもの差しが必要になるのか。それは、放射性炭素(C14)による年代測定の限界が 5 万年なのに対して、年輪を持つ樹木の化石は 1 万 2500 年より古い物が見つからないから。1 万 2500 年前というと最後の寒冷期が終わって縄文時代が始まったころだ。

 一方、水月湖の年縞はなんと 7 万年分である。言ってみれば年縞は、放射性炭素年代測定の限界である 5 万年という時間をフルに利用するためのピンチヒッターだと言えよう。現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカ大陸を出て世界各地に拡散し始めたのが、だいたい 10 万年前。5 万年前までには、その生活範囲をアジア・オセアニアまで広げた。

 人類と気候変動の関係を考えるとき、5 万年前までの年代測定を正確に行うことが非常に重要なカギを握っている。5 万年前の地質年代測定における 2000~3000 年の誤差は、人類と古気候の関係を調べる際にはとても「誤差」と言えるレベルではない。

 ここまで読んでくださった読者には、なぜドイツ、イギリス、そして日本の名だたる地質学者たちが必死になって水月湖の年縞プロジェクトを成功させようとしたのか、何となく分かっていただけたと思う。以下、プロジェクトの成功を決めた掘削の最終部分を簡単に紹介しよう。


画像:ハテナブログ「keniti3545の日記」よりお借りしました。

 年縞の掘削は簡単な作業ではない。上の写真のような「フロート台船」を湖面に浮かべ、やぐらを組んで鉄のパイプを次々と湖底の堆積物の中へ貫入させて行く。それを引き上げて、詰まっている泥を抜き取るのだ。

 深さ 34 メートルの湖底から、さらに深さ 45 メートルまで続いている柱状コアを一気に抜き取ることは技術的に不可能だ。したがって 1 回に得られる柱状コアの長さは約 1 メートルで、それぞれの年縞の標本も 1 メートル程になる。これをすべてつなげると 7 万年分というわけだ。しかし問題は、1 メートルごとに発生する「つなぎ目」だ。

 1993 年の掘削で得られたサンプルでは、このつなぎ目の部分、つまり年縞の欠損部分による誤差があったために年代を計る標準時計である Intcal-98 には採用されなかった。中川毅先生は、この欠点を克服するため、2006 年に 2 度目の全掘削を実行した。

 2 度目の掘削では、上の写真で見られるように深度をずらせて 4 本の掘削を行い、重複部分の縞模様を正確に一致させることで継ぎ目の部分を補完した。これによって「つぎ目のない」完全な年縞が得られ、遂に水月湖の年縞が世界標準として Intcal-13 に採用された。

 実際は、それだけでも一冊に本が書けるくらい、あるいは映画が一本できるくらいの苦労やヒューマンドラマがあった。さらには気の遠くなるような葉っぱの化石の放射性炭素年代測定という作業もあった。世界中の映画監督さん、是非『時を刻む湖』を読むべし!

 さて、水月湖の年縞や樹木年輪、グリーンランドの氷床など世界各地の試料と放射性炭素年代測定によって正確な「もの差し」が得られた。でもそれはあくまでも道具である。ぼくの興味は新たな対象に向かう。この博物館が若狭三方縄文博物館に隣接していることには、大きな意味がある。次回は縄文人と気候について考えてみたい。このシリーズはまだまだ続くのだ。

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