御嶽山に登拝するための古道には、7 月に「 御嶽古道を歩く Part 1」でも紹介したように王滝口と黒沢口という二つのルートがある。今では使われなくなってしまったこの二つのルートをたどると、明治から昭和にかけての木曽の変化がわかって実に興味深い。
黒沢口ルートは全体がほぼ判明していて、江戸時代の登山道をそのままたどることができる。しかし一方の王滝口ルートはと言うと、昭和以降の自動車道整備によってすっかり寸断されてしまい、全体を通して歩くことは不可能。今回は、そんな王滝口ルートの重要な一部である「沢度峠(さわどとうげ)」を歩いてみた。
黄色の線が沢度峠のおよそのルートだ。地図の右下に国道 19 号線が見えている。木曽町と上松町の間で、元橋(もとばし)を渡って県道 20 号線を王滝方面へ向かう。車道は王滝に沿って大きく迂回しているが、沢度峠ルートは最短距離を進んでいることが分かる。道はそのまま御岳湖に突っ込んでいるが、それについてはこの記事の最後で触れよう。
王滝川にかかる二つ目の橋、常盤橋(ときわばし)の分岐。このまま橋を渡ると王滝と三岳へ向かう車道だが、この分岐を左に向かう。温泉宿「大喜泉」の案内板が見える。
すぐにこんな分岐に出る。
道路標識のアップ。「木曽オリオン」という映画にもなった、あの 東京大学の木曽天文台 へ続く道を進む。温泉宿「大喜泉」もその途中にある。
この分岐では「大喜泉」方面へは向かわずに右折する。
途中、車道から木曽駒ヶ岳がを望む。王滝川が流れる様子やあたりの地形が観察できる。
最後の集落を過ぎると林道になる。そのまま 1km ほど進む。
こんなヘアピンカーブがあるので、沢に沿って左の山道に入って行く。
沢を渡って右岸を上って行く。
道はだいたいこんな感じ。倒木などもあってかなり荒れている。使う人がほとんどいないので無理もない。
急斜面を登ると林道に出る。
大正時代の資料の中でこんな写真を見つけた。この近くに八幡滝があって。御嶽に登る人たちはその滝で身を清めてから登っていたという。
探してみると林道より少し西側の沢を下ったところに、写真と同じ祠を見つけた。しかし今は滝に水は落ちておらず、滝壺も土砂や落ち葉で半ば埋もれている。
しばらく行くと分岐に出るが、ここはそのまま通過。
この分岐で山道に入る。
道はかろうじて判別できるが、時折藪漕ぎが必要になる。
笹が茂っているところもある。
ぐみの赤い実。
この辺りは歩きやすい山道。
目の前が開けたと思ったら峠に到着。
10m×20m ぐらいの広場になっている。
大正 10 年(1921年)頃の沢度峠。当時はそれほど木も茂っておらず、鳥居の向こうに御嶽山が良く見えたことだろう。現在残っているのは石灯籠と鳥居の台座のみ。鳥居はどうなってしまったのだろう。おそらく木製の鳥居だったので、倒れてそのまま撤去されたのだろう。
峠を通過したあとの下りは、右肩下がりの斜面をトラバースする。反対側の斜面とは打って変わって、下草のほとんどない歩きやすい山道だ。きのこ取りなどで今でも使われているのだろうか。
才児(さいちご)方面への山道との分岐。
直径 12 センチぐらいあるきのこを発見。
最近増えてきたニホンジカがかじった跡。食害防止のため、幹にはビニールテープが巻かれている。
何カ所か、道がくずれて通りにくい場所も。
ふもとの集落に到着。
ここは「崩越(くずしごう)」という集落だ。普通に読めば「くずれごえ」なのだが。
県道を横切って御岳湖の見える場所に出る。昭和34年(1961年)に、この御岳湖(牧尾ダムともいう)ができたとき、湖底に一つの部落が沈んだ。御嶽古道は、今ではダムの底に沈んだその村を通過して王滝村の中心部へとつながっていた。
冬になると、牧尾ダムの貯水量が少なくなり、湖底に沈んだ橋脚など、集落の一部が現れるという。今年の冬は、是非それを見に来たいと思っている。