下諏訪宿と和田宿の間にある和田峠(標高1531m)は中山道の最高地点だ。今回は和田宿を出発し、東から西へ和田峠を越えて下諏訪まで歩く。峠越えの難易度という意味では、中山道随一といっても良いだろう。その雰囲気を少しでも味わってもらうため、今回は写真の数を増やして道中を紹介する。下の画像は「木曽海道六十九次」の和田(歌川広重作)。
さて、和田宿から下諏訪宿まですべて歩くと 23km ほどあるので、今回は国道 142 号の舗装部分をスキップして「男女倉口(おめぐらぐち)」からスタート。江戸時代のルートがそのまま残る中山道をゆっくりと楽しむ。それでも下諏訪宿まで約 15.5km の長丁場だ。
前日は和田宿の近くにある民宿「みや」に宿泊。宿のご主人は、中山道を歩く旅人に合わせて送迎のサポートをしてくれる。民宿「みや」は下諏訪から長久保までの 30km で唯一営業している宿泊施設。旅人のためにいろいろと有用なアドバイスもしてくれる。
旧道との分岐の少し和田宿側にある男女倉口の看板。ここの標高が 1100m なので、峠最高点との標高差は約 430 メートルだ。この男女倉付近にも縄文時代の遺跡がある。和田宿周辺は石器の材料として有用な黒曜石の一大産地であり、縄文時代には交易の中心だった。
ここが新和田トンネルを通る新しい国道 142 号線と旧国道の分岐。直進して橋を渡ると、料金所と新和田トンネルを通過して諏訪方面へ向かう。右方向にカーブして行くのが旧国道だ。この旧国道を 100 メートルほど進むと、今回歩く旧中山道の入口がある。
これが旧中山道の入口。ここからは標識がしっかり整備されているので迷う心配はない。
歩く前にコースを地図で簡単に見ておこう。画像をクリックすると拡大地図が見られる。
気持ちの良い山道を進む。この日は曇り空で写真の発色が今ひとつだが、標高を稼ぐにつれて植生が変化し、山歩きの醍醐味を味わえる。
今年はまだ人がほとんど通っていないので、まるで芝生を敷き詰めたような道がしばらく続く。
しばらく歩くと接待茶屋跡に到着。茶屋跡の様子はフォトギャラリーで。
こうした木の橋が何カ所かある。中には穴が空いているものも。
透き通った水が音をたてて流れる沢を見ながら橋を渡る。
江戸時代から残る石畳。角のとれた石の丸さがその歴史を物語る。長さはそれほどでもないが、その風情は琵琶峠の石畳にも引けを取らない。
江戸日本橋から五十二番目、広原の一里塚。
二箇所ほどこんな風に国道を横切る。
コルゲート管のトンネルでビーナスラインの下を通過。ビーナスラインがくねくねと曲がっているので、中山道は合計で五回も横断することになる。あるときは階段で、あるときは地下道で・・・。フォトギャラリーを参照。
複雑に入り組んだ地形ゆえに、中山道は小さな沢をたくさん通過する。こうした峠の和田宿側の水が集まって千曲川の支流になり、信濃川となって日本海に注ぐ。そして峠の下諏訪宿側の水は諏訪湖に注ぎ、その後は天竜川として太平洋に至る。和田峠は分水嶺なのだ。
岐阜県からずっと続くおなじみの中山道標識。和田峠の標識はやけに新しくてきれいだ。最近設置されたものらしい。
さらにビーナスラインを横断。
空が開けて明るい道に出る。なんとも良い雰囲気だ。
爽やかな唐松林。標高が 1500 メートル以上あるので、夏でもおそらく気温が 25 度を超えることはあるまい。これほど気持ちの良い道には滅多にお目にかかれるものではない。
しばらく登ると、開けて樹木のない丘が見える。これが和田峠だ。頂上の案内板の前で昼食をとるのが良いだろう。ちなみに、頂上の案内板には「和田峠」ではなく「古峠」と記されている。明治九年に新道ができて役目を終えたので、そう呼ばれるようになった。
展望台から諏訪方面を望む。この日は霞がかかっていて不明瞭。町並みの左側には諏訪湖があるのだが、山の陰で見ることができない。
「本尊大日大聖不動明王」の石碑と並んで立つ「御嶽山坐王大権現」の石碑。ここは御嶽山の遙拝所でもある。スッキリ晴れた日なら、木曽駒ヶ岳、御岳、乗鞍岳が見えるらしい。この記事の冒頭で紹介した広重の作品は、この三山を描いたものだという。峠道を挟んで反対側には賽の河原地蔵が奉られている。
「西坂ケワシ東坂ヤスラカナリ三月末マデ雪アリテ寒シ」という記述が『木曽名所図会』にある。今回のぼくのように東から西へ歩く旅人にとっては快適な峠道だが、逆方向に歩く場合はかなり長い心臓破りの坂道を登らなければならない。写真でも分かるように諏訪方面への下りは一変して急坂となり、危険なガレ場もある。膝などに問題を抱える人はゆっくりと注意して歩こう。
美しい林の中を通過する中山道。和田峠周辺の林は、おそらく四季を通じて我々の目を楽しませてくれるに違いない。
時々、このように国道 142 号線を横断する。これがまた楽しい。中山道を歩いていて舗装道路が楽しいと感じたのは今回が初めてだ。
この辺りの中山道の雰囲気は刻々と変化する。それは写真では到底伝えることができない感覚だ。是非実際に歩いて体感して欲しい。
広葉樹林帯をひたすら下る。カエデなどが目立つので秋には美しい紅葉が期待できそう。今年の秋にもまた来ようと心に誓う。
西餅屋跡。和田・下諏訪間は五里十八町(約22.8km)という長距離だったため、峠の西と東にはそれぞれ西餅屋と東餅屋があり、旅人はここで腹ごしらえをして先を急いだ。今回は見られなかったが、車道沿いには力餅を食べさせるドライブインがあるらしい。
左側が切り立ったガレ場。注意して進もう。一箇所完全に崩落している箇所があり、地元のおじさんが修繕していた。話を聞くと、危ないのでボランティアで直しているという。本格的な工具や資材をを背負ってここまで登って来られたのだ。ぼくも(もうすぐ来る)老後には、こんな仕事をする人でいたいと願う。(フォトギャラリーを参照)
鬱蒼とした森の中を進む中山道。石で作られた側溝も江戸時代のものに違いない。当時はきれいに掃除がされて、人がたくさん行き交っていたことだろう。そんな様子を想像しながら、しばらくこの場所にたたずんだ。
こんな渓流沿いを進む。水は諏訪湖に向かって流れている。
日陰の道。夏でも涼しいことだろう。
ここで遂に中山道も国道に合流する。ここからは所々に残る中山道や、あの有名な御柱の木落し坂、注連掛などの名所をたどりながら、下諏訪宿を目指す。
国道下のトンネルを二度S字形にくぐる。右手には水戸浪士の墓がある。歴史に興味のある旅人には外せない重要な場所。
町並みを右手に見ながら進む。
勇壮な御柱の「木落し坂」を見物した後の下り坂。かなりの急坂だがきれいに整備されている。
富士山が見えるらしいスポット。残念ながら曇っていて見えず。
下諏訪宿を通過して諏訪大社下社秋宮に到着。下諏訪宿には諏訪大社などの見どころが非常に多いため、折を見て独立したブログ記事を書く予定。