野尻・大桑・須原 – 古刹と蛇行切断地形を巡るとっておきコース

 木曽路の中でも、馬籠峠や鳥居峠といった峠道を除くと旧中山道を楽しく歩けるところはそれほど多くない。そんな中で野尻宿から大桑を経由して須原宿までの部分は、舗装道路ではあるけれども交通量の少ない田舎道を、木曽路最古と言われる「定勝寺(じょうしょうじ)」をはじめとした古刹や、珍しい地形を眺めながらのんびり歩ける貴重なウォーキングコースになっている。JR の駅から駅まで 4 時間ほどで歩ける点も非常に便利だ。さっそく野尻駅から歩き始めることにしよう。

 「西のはずれ」にある西村家。ここから東のはずれまでは約 700m もあり、木曽路では奈良井宿に次ぐ長さだ。

 「野尻七曲がり」と言われるほど、くねくねと街道が曲がりながら延びており、行く手を見通すのが難しい。防御目的で意図的に道を蛇行させたのだ。

 晴れていると、宿場からこんなふうに中央アルプス(木曽山脈)の山並みが見える。一番高く見えるのが三ノ沢岳(さんのさわだけ)。その左側、遠方に見えているのが中央アルプスの最高峰である木曽駒ヶ岳(標高2956m)だ。

 正面に山並みを見ながら中山道を行く。脇本陣や本陣は「跡」だけで歴史的な見どころは少ないが、車はほとんど通らないので気楽に歩ける。

 宿場町の外れにとても雰囲気の良い「鹿島神社」があるのでちょっと立ち寄ってみよう。森の中にあって暑い日には涼をとるのにちょうど良い。

 街道に戻って歩き始めると対岸に見える大桑発電所。12000 キロワットを発電している。木曽路の中山道を歩くときは、対岸に次から次と現れるレトロな水力発電所を眺めるのも一興だ。古いので周りの風景にすっかり溶け込んでいて、建築的にも興味深いものがある。

 中山道はここで国道 19 号線に合流。大桑まで 15 分ほど交通量の多い国道を歩く。しっかりしたガードレール付きの歩道が整備されているので、対岸の風景やアルプスの山並みをみながら安心して歩ける。

 空木岳。実際、このコースから見られる中央アルプスの眺めは中山道で一番だと思う。

 踏切が見えたら国道からそれて大桑へ。大桑駅では線路が大きくカーブしていて、停車中の列車はかなり傾く。

 ちょうど白梅が満開だ。

 こちらは紅梅。

 大桑駅近くを通過して右の坂道をしばらく行くと、日当たりの良い広々とした傾斜地が一望できる場所に出る。中央左に見えているのが臨済宗妙心寺派の「天長院」だ。開山は戦国末期(1594年)とかなり古い。なんとも長閑な棚田の風景だ。

 天長院は、この Google 写真で右下の丘のふもとに見えている。天長院をお椀の底に見立てると、このお椀の湾曲部分が「蛇行切断地形」だ。地図の右上(北東)から左下(南西)に向かって曲がりながら流れているのが木曽川。約 300 万年前には、木曽川は天長院の辺りを流れていたが、約 200 年ほど前に蛇行部分が決壊してつながり、現在の流路になった。天長院の辺りには三日月湖が残されていたが、その後の中部日本の隆起によって川筋が次第に深く浸食され、天長院の辺りは木曽川との標高差 50 メートルほどの丘陵として残された。

 棚田の斜面を少し登って還流丘陵を振り返る。中央に天長院の屋根が見えている。300万年前には、この丘の手前側を、ぐるっと回るように木曽川が蛇行していたとはとても信じがたい。木曽山脈が隆起する前まで、この場所には平らな準平原が広がっていたのだ。

 天長院の本堂。いつ来てもきれいに清掃されていてすがすがしい雰囲気が漂う。

 天長院は「子育て地蔵」で有名。それに因んで庭にはお地蔵さんや子供の石像がたくさん配置されている。中にはけっこうモダンなお地蔵さんも。

 こちらは昔からある古いお地蔵さん。

 ここでも白梅が満開。丘陵を後にして坂道を下ると旧橋場村の集落で中山道は木曽川沿いに戻る。

 伊奈川を渡ると対岸の山腹に「木曽の清水寺」とも呼ばれる岩出観音(いわでかんのん)が見えてくる。馬の産地として有名な木曽の三大馬頭観音の一つだ。英泉が描いた「木曽路驛 野尻 伊奈川橋遠景」でも山の中腹にちょこっと見えている。三月下旬の今はこんな景色だが、周りを囲んでいるのはすべて桜の木だ。春の光景を想像するだけで楽しい。

 岩出観音の崖家造りを下から見あげる。京都の清水寺とほぼ同じ構造だという。

 岩出観音の本堂。広いテラス(清水の舞台と言うべきか)があり眺望は最高。

 これは昨年春に撮影した岩出観音。満開ではなかったがそれなりに楽しめた。

 国道に沿った旧街道を須原宿方面に向かう。木曽川の対岸には須原発電所が見える。

 須原宿の南端、定勝寺近くにある桝形。この流れに沿った坂道を登ると車道になっている中山道に合流する。

 桝形の角にある旧旅籠柏屋。「かしわや」と書いた看板がある。さらに二階の軒を見ると、御嶽講の看板が掛かっており、中京地域の御嶽講の定宿になっていたことが分かる。江戸時代、名古屋方面の信者さんたちが、何十人もつれだってこうしたお宿に泊まりながら、ゆっくりと歩いて御嶽山を目指していたのだ。

 木曽路最古の名刹「定勝寺(じょうしょうじ)」の山門。

 境内にある紅梅。枝ぶりも見事で花色も素晴らしい。

 広々として古刹の風格漂う定勝寺の境内。創建は室町時代初期(1388年頃)に遡る。「蕎麦切り」に関する日本最古の文書がこの寺で発見されており、現在我々が食べている細い麺状のそばは、ここが発祥とも言われている。入館料を払うと、写真右側に見えている庫裏と本尊の釈迦如来が安置されている本堂を見ることができる。春の桜も秋の紅葉も見事で、いつ来ても楽しめる美しい寺だ。

 街道をしばらく進むと左手に見える脇本陣西尾家。現在は造り酒屋を営んでおり『木曽のかけはし』は人気の銘柄だ。

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