冬も歩こう中山道 – 馬籠峠・馬籠宿から三留野宿(Nakasendo – Magome to Midono)

【冬も歩こう中山道】シリーズ第3弾。三密を避けながら楽しく歩ける冬の信濃路!

 中山道の峠道で、冬でも雪の心配がなく安心して歩けるところと言えば、岐阜県にある琵琶峠、十三峠などが思い浮かぶ。しかし長野県内の峠道は、積雪や低温などを考慮してそれなりの装備が必要になる。冬装備無しで歩けるのは、先月紹介した塩尻峠と今回の馬籠峠の二つに限られるだろう。

 特に馬籠峠は、人気のウォーキングコースなので冬でも歩いている人を時々見かける。峠の茶屋「一石栃お休み処」は、大晦日と正月の二日間を除いて年中無休で開いているので、多少天候が悪くても休憩場所に困ることはない。馬籠宿から妻籠宿までは約 9km、さらに南木曽駅まで歩くと全部で 13km となるので、一日かけて歩くコースとしては最適だ。

 馬籠バス停横の駐車場から見る馬籠城跡。歩いても 10 分ほどの距離だ。

 旧中山道と車道との交差点。バス停、駐車場、土産店、食堂などが集中していて便利な場所だが、江戸時代を思わせる風情はというと、ほとんど皆無だ。

 桝形の入口。右に見える坂道は昭和になってから整備されたもの。江戸時代の馬籠宿に石畳はなかったと言われる。

 「馬籠宿脇本陣資料館」の入口にある木曽五木の展示。ちょっと足を止めて、木曽にとって森林資源がどれほど重要だったのかを考えてみよう。ちょっと見ただけでは分からないヒノキとサワラの見分け方だが、木曽に住むぼくらはその方法を小学校で学習する。

 そば屋の軒先には干し柿がたくさん。木曽の冬の風物詩だ。

 人馬跡公園から中津川方面を振り返る。京方面からの旅人は、「ここから山深い木曽路に入って行くのだ」という感傷を覚えたに違いない。馬籠峠は、今も昔も美濃路と信濃路の境界なのだ。

 分岐には必ず中山道を示す標識が設置されている。ここでは石畳の道を進む。

 弥次さん喜多さんの「東海道中膝栗毛」の作者として有名な十返舎一九の狂歌。
 「渋皮の むけし女は 見えねども 栗のこはめし ここの名物」

 垢抜けした女性は見られないが栗のこわ飯はうまかった、という内容を文字通り受け取るのは野暮というもの。女性蔑視だ、という指摘も当たらない。飾らない田舎のもてなしと栗ご飯のおいしさがなんとなく伝わってくる良い句だとぼくは思う。

 木曽路にも熊野神社がいくつかある。

 このの熊野神社は良く整備されていて舞台もあるので、地域の人たちが今でも氏神としてお祀りしていると思われる。

 標高 790 メートルの馬籠峠。峠の茶屋は不定期営業で、冬場は閉まっていることがほとんどだ。

 峠から 15 分ほど妻籠方面に下ったところにある一石栃(いちこくとち)の立場茶屋。きれいな飲料水、水洗トイレ、お茶のサービス、多人数での昼食などに使える東屋などがあり、休憩場所として最高の場所。

 茶屋の周囲には大きなしだれ桜が何本もあって、春には素晴らしい景観が見られる。

 サワラ巨木。説明板によるとこの巨木は「合体木」で、日本のサワラが根元で一つに合体している。横に出ている太い枝を「神居木(かもいぎ)」と呼ぶ。

 橋の上から美しい沢が見られるスポット。

 旧街道の雰囲気を濃厚に残す道。

 男滝と女滝という二つの滝が並んでいる。こちらは男滝。

 こちらが女滝。倉科伝説では金鶏が滝壺に飛び込んだとされる。

 中山道が民家を縫って通る。

 妻籠宿に近づくと急に展望が開ける場所があって、勝手に展望台と呼んでいる。街道が岩の尾根を巻きながら急に下るところだ。

 その展望台付近の石畳。急坂でしかも急カーブ。

 馬頭観音はよく見かけるのだが、これは珍しい牛頭観音。この坂道はあまりに勾配が急なので、馬では荷物を運ぶことができなかった。牛はおとなしいので、五頭、六頭と綱でつなげて、たくさんの荷物を運んだらしい。

 庚申塚。

 人気の民宿、つたむらや。ご主人はどぶろくの酒造免許を持っており、米も合鴨農法で作り、食材も自前のものが多い。

 見逃しやすい分岐。中山道はここで左折して坂道を登る。

 ちょっとバラを思わせる山茶花(サザンカ)の花。樹形や葉っぱは椿(ツバキ)に似ているが、葉の縁がギザギザになっているので見分けることができる。

 蘭川(あららぎがわ)を渡ると妻籠宿だ。

 橋を渡ったところで右手の民家の庭を見ると、立派な石柱道標がある。今では国道から外れているが、この場所が中山道と、伊那に抜ける東山道の分岐点だった。

 おしゃごじさま。古くからある民間信仰の神様を祭る祠だ。「おしゃごじ」の他に、ミシャグジ、ミシャグチ、サグジ、ミサクジ、などと発音されることもある。諏訪地方では「御左口神」という漢字を当てているが、この神様の由来は不明と言ってよいだろう。とにかく古い神様で、由来は縄文時代にまで遡るかもしれない。

 飯田へ抜ける東山道は、おしゃごじさまの祠のすぐそばにあるこの沢沿いの道だ。幕末の水戸浪士らによって結成された「天狗党」は「和田峠の闘い」の後、伊那から東山道を通って妻籠に抜け、ここから中津川方面へと進んだ。街道沿いの各藩はその千人ほどの軍勢を恐れて闘いを避け、天狗党は粛々と京都へ向かったという。

 妻籠宿に現存する建物のうち最も古いとされる「上嵯峨屋(かみさがや)」。

 桝形。ここでも馬籠宿と同様、桝形のバイパスが設けられている。

 脇本陣奥谷。ここで入場券を購入すると、脇本陣、資料館、本陣跡の三箇所を見学できる。脇本陣では担当者の丁寧な解説付きで、「妻籠宿・格子に差し込む冬の陽光」をじっくりと干渉することが可能。外国人にも人気のスポットになっている。

 宿場町の外れにある高札場と水車。

 民家が途切れる辺りに分岐がある。標識が分かりにくいが、ここで右の道に入って坂を登る。

 急な登り坂はここだけで、後は平坦なアップダウンが続く。

 渡島蛇抜沢(わたしまじゃぬけざわ)。南木曽は、木曽の中でも特に蛇抜(じゃぬけ:鉄砲水や土石流など)の被害が多いところだ。

 兜観音(かぶとかんのん)。馬籠城が落とされた時に、木曽義昌が「兜観音」に戦勝祈願したところ白い鳩が舞い降り、それから妻籠城に籠城してこれを死守したという言い伝えによりここに奉られている。

 中山道の分岐。右に行く道が中山道。これを進むと南木曽駅に寄らずに三留野宿方面へと向かう。この日は、電車に乗るため JR 南木曽駅に向かう。

 南木曽駅は、全列車ではないが特急「しなの」の停車駅にもなっており、中山道を歩く人にとっては重要な駅だ。ここから野尻方面に歩くときには選択肢が二つある。「与川道を行く」で迂回路を通るか、または「岨づたいに行く崖の道・三留野宿~野尻宿」で中山道の本道を歩く。

タイトルとURLをコピーしました