中央アルプスの木曽駒ヶ岳で、今年の夏(2018 年 7 月)、約 50 年ぶりにライチョウが目撃された。僕にとってはハヤブサ 2 のリュウグウ到着と同じくらいのビッグニュースなのだが、世間的にはほとんど注目されておらず、長野県のローカルニュースといったところ。このところ地震や台風などの災害が立て続けに列島を襲っているので、まあ仕方がない。
これまで地球上には何百万種という動植物が生まれ、その多くが絶滅してきた。近代になり、人が自然環境に大きな影響を及ぼすようになってからは、人間の活動が原因で絶滅した生物も数多い。それはそれで仕方がないのかなと僕は思う。人間だって自然の一部なんだから、人間の行為も自然の一部と考えるべきだろう。そんな僕でも、なんとか絶滅から救いたいと切に願う生き物が一種類だけいる。それがライチョウ。
僕が初めてライチョウを見たのは、中学二年の御嶽登山の時だ。中学生がワイワイ騒ぎながら近づいても、他の鳥のように逃げ出さない様子を見てちょっと驚いた。そのときの理科の先生が、「ライチョウは人を恐れない鳥なんだよ」と教えてくれたのを鮮明に覚えている。
北アルプスの山小屋でアルバイトをしたり、趣味で南北アルプスや御嶽山など高山に登る機会も多かった僕にとって、ライチョウを見かけるのはそれほど珍しいことではなかった。それが近年の温暖化によって、サルやシカなど本来は低山にすむ野生動物が 3000 メートル級の高山にまで進出するようになると、ライチョウの生息環境が大きく変化した。
こうした自然の変化に加えて、登山者や観光客が捨てるゴミなどがサルやカラスの餌になっていることも、ライチョウの生息環境に大きな影響を及ぼしている。実際に、ニホンザルやハシブトガラスによるライチョウの補食も確認されている。
現在ライチョウの生息数は、長野県、富山県、岐阜県にまたがる中部山岳地域に約 1700 羽ほど。この 40 年ほどでほぼ半減しており、絶滅危惧種に指定されてしまった。そんな中、三年ほど前に本屋で偶然見かけて買ったのが信州大学名誉教授、中村浩志先生の著書だ。
氷河期を生き抜いたライチョウについて、知っておくべきことがすべてこの一冊に凝縮されている。冒頭には、中村先生が実施した驚きの「全鳥捕獲」という調査手法が詳細に紹介されており、まさに息をのむ内容。厳しい真冬の乗鞍岳をホームグラウンドとして、長年にわたる詳細な現地調査に裏付けされた内容なので、情報量だけでなく僕らの心に与えるインパクトも大きい。
この写真は、木曽駒ヶ岳で久しぶりにライチョウが発見されてから、中村先生が信濃毎日新聞の取材に応じた時のもの。ハイマツの下に見えているのはライチョウの卵だ。記事の中で中村先生は、「既存の研究で成鳥は約 20 キロメートルの飛行が確認されているが御嶽山や南アから駒ケ岳へ飛んで来たとすれば、日本に生息するライチョウの飛行距離最長記録になる」と述べている。
たぶん冬の寒い時期に、途中の山で何度か休憩を取りながら一生懸命飛んできたのだろう。飛ぶのがあまり得意ではないライチョウ。短い翼を精一杯はばたかせて・・・。その姿を想像するだけで、最近めっきり涙もろくなってきた星のおじさんは目が潤んでしまうのだ。
中村先生は、はるばる飛んできたライチョウを駒ヶ岳に定着させたいという趣旨の中で、次のように述べている。「雌鳥の元の生息地から雄を運び、駒ケ岳付近で繁殖できるようにしてあげたい。繁殖できる良好な環境は十分にある。」
DNA 検査によってこの雌がどの山域から飛来したのか調べ、それと同じ山域から雄を連れて来ることを考えておられるようだ。
雄のライチョウをどこから連れてくるのか、僕なりにちょっと考えてみた。動物には、近親交配を避けるために拡散・分散する傾向が見られる。雌が生まれた場所に留まり、雄が追い出される形で周辺に拡散するというケースが多数派だろう。アフリカのライオンがその良い例だ。ところが、ライチョウの場合は雄がその場に留まり、雌が縄張りの外や他の山域に飛び去って行く。数年前に白山で 70 年ぶりに発見された個体も雌だった。
今回、木曽駒ヶ岳で発見された雌ライチョウは、本能的に「近親交配を避けるための拡散」を目的として、命がけで飛んできたのだ。だから彼女のお相手としては、立山など離れた場所から雄を連れてきた方が良いのではないだろうか。さらにどうせ連れてくるなら、オスを一匹だけではなく、複数の山域からつがいを三組ぐらい連れてきたらどうだろうか。それなら効果的に近親交配を避けることができるだろう。
余談だが、人間もライチョウと同じで男の子が家を継いで地元に残り、女の子はできるだけ遠くへお嫁に行くという傾向がある。「嫁に出す」とか「お嫁に行く」という表現自体、その習性というか習慣を表している。人間とライチョウにはこんな類似点があるが、これは動物の中ではかなり少数派なのだ。
さて冒頭でも書いたように、日本のライチョウは人を恐れない。その理由については諸説ある。ヨーロッパではライチョウが狩猟対象になっていたが、日本には山岳信仰があったので山での殺生を避ける傾向があったからだというのが通説。中村先生も著書の中でその旨を述べておられるが、本当にそうなのだろうか。
山岳信仰や日本人の自然を敬う姿勢が原因だとしたら、それらが日本人の中に芽生えたほんの数千年の間に、ライチョウの遺伝子に変化が起きたことになる。それはちょっと考えにくい。加えて、なぜライチョウだけが人を恐れず、他の野生動物は人を見ると逃げるのだろうか。
ここからは再び僕の勝手な意見。明治の中頃にイギリス人のウェストンが日本アルプスのピークに次々と登頂して世界に紹介するまで、日本の 2500 メートルを超える高山には人が登らず、ライチョウや一部の猛禽類を除いて野生動物が全くいなかった。さらに気温も今より低かったので、キツネやテンなども高山までは行かなかった。
つまりそれまで何万年もの間、タカなどの「上から来る天敵」以外にはライチョウの天敵が存在しなかったのだ。「地面を歩いてくる」天敵がいないので、ライチョウたちは上からの天敵にだけ気をつけていれば良い。実際ライチョウは、タカやワシなどの猛禽類に対してはかなり強い警戒心を発揮する。ライチョウの DNA はそんな風に進化してきた。
では結論。日本のライチョウが人を恐れないのは単純に「人を天敵と見なしていない」から。おそらく日本人の山岳信仰とは無関係だと思う。ライチョウは飛翔能力が低く、地上を歩く動物に対する警戒心がめちゃくちゃ弱い。ほとんど無防備状態だ。その結果として、温暖化の影響をもろに受けてその数を減らしているのだ。