蜂の子うまいか・・・

「長野県民は下手物食いだ」だと思っている人はかなり多い。信州人は本当に「虫を食う人々」なのかというと、実際に虫を食べる機会はそれほど多くはない。旅館やレストランなどで味付けした蜂の子を出すところがしばしばあるので、他県人にそんなイメージを持たれているのだろう。


お土産屋で普通に売っている蜂の子の佃煮。画像クレジット:コトバンク

 近年の冷凍技術の進歩や輸送時間の短縮によって、山国信州でも食糧事情が劇的に改善している。新鮮な魚介類も簡単に手に入るし、信州サーモンや信州和牛などもあるので、タンパク源としてわざわざ虫を食う必要もない。でもぼくが小学生の頃までは、虫がけっこうごちそうだったのだ。

 ここで虫の話からちょっと脱線するが、長野県民は普通に食べているのに他県ではほとんど見られないものに「塩丸いか」という商品がある。これは内臓を抜いて塩ゆでにしたスルメイカ。

 新鮮なイカが手に入る地域では絶対に出番のない商品だが、長野県では昔からどこのスーパーでも売っている。ちなみに、ぼくの妻は新潟出身なのだが、この代物を初めて見たときには「なんでイカを茹でるの?」と思ったそうだ。でも最近では妻も食感と味がすっかり気に入って、酢の物と言えばまず「塩丸いか」が入っている。

 調理方法としては、キュウリやわかめなどと一緒に酢の物にするのが一般的。天ぷらやフライにする人もいるらしい。ぼくは輪切りにしてシンプルにそのまま生姜醤油で食べるのが好きなのだが、どんな風に調理してもそれなりに食べられる。

 さて、話を「昆虫食」に戻そう。ハマグリやサザエなどの美味しいものが豊富にとれる場所なら、わざわざ虫など食う必要はない。しかし縄文時代の昔から、たぶん信州人は虫を食べていた。猪や鹿が手に入らないときには、川で魚を捕るしかない。それもうまく行かずに腹が減ったらどうするか。栄養豊富でジューシーな昆虫に目を向けざるをえないのだ。

 ここで、ぼくが二十年近く前に書いたショートストーリーを紹介しよう。人口問題は今でも深刻なのだが、ひとむかし前には食糧不足に警鐘を鳴らす報道が今よりもずっと多かった。テレビなどでもよく特集番組が組まれていた。たぶんぼくもそれに触発されて書いたのだと思う。

< 以下引用 >

 虫を食う

 子供の頃、母親に言いつけられて、よくイナゴを獲りに行った。口のところをひもでギュッと縛るタイプの布袋をもらい、それがいっぱいになるまで夢中で獲った。
 妹と一緒に競争でとって、獲物を得意になって持って帰る。細かい調理法はよく知らないが、翌日には、砂糖と醤油で煮詰めた飴色のイナゴが食卓に上る。最初はちょっと戸惑ったのを覚えているが、そのうちに好物の一つになった。足の部分はややごわごわして食べにくいが、噛んでいるうちに何とも言えぬ香ばしさが口いっぱいに広がる。
 これよりさらにうまいのが、蜂の子である。獲るのはもっぱら家の軒などに巣を作っているアシナガバチだ。竹竿で叩き落としておき、ダーッと逃げて、しばらくしてから落ちているのを拾いに行く。


画像クレジット:Wikipedia

 中には二センチくらいにまで成長したクリーム色の幼虫が、尻を動かしながら艶々と光っている。すでにさなぎになったのも混じっているが、かまわず全部フライパンで炒って、一つずつ舌の上で味わう。脂っこくて、甘くて、柔らかくて、バターよりもっと香ばしくて、なんともうまい。ちょっと醤油を垂らすと、十分ご飯のおかずにもなる。

 さて、イナゴと蜂の子までは、食べたことのある人は結構多いだろう。しかし我が信州では、もうひとつ一般的に食される昆虫がある。「ひび」である。どんな漢字を当てるのか知らないが、これは蚕のさなぎである。(ひび2個で鶏卵1個分の栄養があるとか)

 昔から養蚕の盛んな信州には、「ああ野麦峠」でも有名な紡績関係の工場がたくさんある。そこで蚕の繭から絹糸をとった後、残ったさなぎである「ひび」を、捨てるのももったいないと食べ始めたものだろう。


画像:サイト「水窪なんでも情報局」より

 これがビニール袋に入れられて、マーケットや小さな食料品店の店先に並んでいるのだ。うちの父親もこれが好物で、ビールのつまみによく食べていた。私自身は、味に癖があるのであまり好きではなかったが、腹が減っているとおやつ代わりに仕方なし食べたものだ。

 だから私の中では、これらの昆虫を食べることに対して、「下手物」を食べているという感覚はない。食料が乏しくなれば、こうした虫でも貴重な蛋白源になるに違いない。今の日本では想像もできないが、将来そんな日が来ないとも限らないだろう。

 地球上に生息している昆虫の体重をすべて合わせると、全人類の合計体重の六倍になるという。それを全部食べ尽くすことなどできるものではない。そう考えると、食糧危機の問題も「何とかなるだろう」と思えてしまうのだ。

 二十年後の妻と私との会話。
「母さん、今日のヒエご飯はいつもと味が違うねぇ」
「気が付いた? ちょっとザザムシを混ぜてみたんだけど」
「うん、道理でなかなか香ばしいよ」
「みそ汁の中の、カマキリもおいしいでしょ」
「ああ、でもこれだけ集めるのは大変だったろう?」
「そうでもなかった。たくさんいるとこ知ってるから」
「それと、このトンボのお浸しは絶品だね」
「まだちょっと旬には早いけど、結構いけるわね。カブトムシのさなぎを揚げてみたんだけど、食べてみる?」
「うん。これもうまいね。昔よく食べた鳥の唐揚げみたいだよ」

< 引用おわり >

 二十年前に書いたものだが、さすがに二十年後の現在でもこんな食糧事情にはなっていない。昨晩だって、ぼくはたくさんの新鮮な野菜と一緒に大好きなチキンを堪能したし、その前日にはローストビーフだって食べたのだ。

 どんなに腹が減っても、さすがにカブトムシのさなぎや幼虫を食べたいとは思わないだろう。でも肉も魚もないとなれば、やっぱり食べるだろうか。

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