細久手宿から大湫宿までは約 7 km あり、さらに大湫宿から大井宿(恵那)までの約 13 km を加えると全体で 20 km の距離がある。今回はこれを一日で歩いたが、途中に見どころも多いのでブログ記事は二回に分けることにした。12 月中旬という季節外れに峠をいくつも超えながら、やはり新緑の季節にもう一度歩いてみたいと思った。季節を変えて何度でも歩いてみたいと思わせる場所は、そう滅多にあるものではない。
細久手宿を出発すると、ほどなく弁天池に到着。花の名所で五月にはカキツバタの群生が見られるという。
天神辻地蔵のバス停。細久手を出てから琵琶峠の入口までは、比較的アップダウンの少ない舗装道路を歩く。
突如として現れる立派な建物。市街地から遠い山の中という立地を生かした「国際犬訓練所」の施設だ。
琵琶峠の西入口。ここから登りの山道となる。
しばらく行くと琵琶峠の石畳が始まる。総延長 700 メートルを超え、現存するものとしては日本で一番長い。開発から取り残された山中にひっそりと埋もれていた石畳を、1970 年代に地元の郷土史家である渡辺氏父子が発掘したものだ。
延々と続く石畳。皇女和宮の一行が踏んだ同じ石を自分も踏んでいると思うと感慨深い。一つひとつの石の角のとれ具合から、修復されていない掘り出されたままの石畳だということが一目瞭然。本当に素晴らしい歴史遺産だ。個人的には国宝に指定されてもおかしくないと思う。
八瀬沢一里塚。これも当時のままの一里塚。中山道を歩いてたくさん一里塚を見てきたが、保存状態といい、雰囲気といい、これがぼくの中では最高の一里塚だ。
やっと琵琶峠の頂上に到着。標高は 538 メートルもあって美濃を通る中山道の最高地点だ。現在は周囲に木が茂って見通しが効かないが、『木曽路名所図会』によると当時は木曽御嶽山をはじめ、加賀白山、伊吹山まで見えたという。当時を再現するという意味では、木を切り払って見晴らしの良い展望台を整備するのもありかなと思ってしまう。
峠にある馬頭観音と和宮歌碑。
下りの石畳もかなり急だ。美濃路の中でも一番の難所に違いない。なぜこんな山の中にこれほどの石畳を作ったのだろう。雨が降ると通れなくなるほどの難所だったのか、それとも地元を治める豪族が力を誇示したかったのか、謎である。
琵琶峠の東入口。ここから平坦な道となる。
石を三つ使った道標。これは特に立派なタイプだが、総じて岐阜県の中山道は標識も見易くて整備が行き届いている。それほど通過する人が多いとも思われないが、トイレや休憩所なども充実している。
浮世絵コーナー – 大湫宿
歌川広重の大湫宿。
大洞の馬頭様付近。岩の形や地形から、この場所が広重の大湫宿のモデルではないかと思われる場所。
大湫宿の入口にある高札場。
観光客向けにきれいに整備された町並み。建物自体は新しいが、宿場町の雰囲気はある。
大湫コミュニティセンター。地元の人たちが集まる場所だが、休憩も可能でトイレも借りられる。これだけ設備の充実した宿場町なのに、旅館や民宿が一軒もないのは残念。
旧森川訓行家住宅。ここが大湫宿の観光案内所になっている。この日はサービスで昆布茶をいただいた。ボランティアの案内人の方が詳しい説明をしてくれる。
森川訓行家の内部。お土産や菓子なども売っており、広い場所でくつろぐことができる。
宿場の出口。すでに上り坂。さあ、ここからは次の難所「十三峠」が待っている。