御嶽古道・合戸峠を越えて – 木曽町から里宮まで(Ontake-kodo, Fukushima to Satomiya)

 木曽町の観光局で「御嶽古道ツアー」の参加者を募集したところ、35 名の募集枠があっと言う間に埋まった。木曽町から御嶽山へと向かう「御嶽古道」への関心の高さがうかがわれる。JR 木曽福島駅に集合してガイドの案内で歩き始める。旧中山道が実際にどこを通っていたのか等々、地元に住んでいるぼくも知らなかった情報が得られる非常に興味深いツアーだ。

 駅から歩いて 10 分ほどで八沢橋に着く。突き当たりが枡形になっていて左に曲がり、さらに右に直角に曲がる。つまりここが宿場町入口の防衛線になっている。

 木曽町の本町通りにある四つ辻。現在は「いわや」旅館の前。奥に見える露地から出てきた中山道はここで右折して江戸に向かう。御嶽への登山道は手前方向に直進する。河岸に出たところで左折して川下に向かうと「行人橋(ぎょうにんばし)」の袂に出る。



 行人橋の左岸側に置かれている絵地図。地図上で、青い札で示されているのが王滝口の御嶽古道、赤い札が付いているのが、今回のツアーで歩く黒沢口の御嶽古道だ。(地図をクリックすると拡大表示)

 行人橋(ぎょうにんばし)。これを渡って左折し、御嶽山へと向かう。この「行人橋歩道橋」は車道の行人橋から 50 メートルほど木曽川の上流にあるが、ここが本来の行人橋の位置だ。

 「御嶽登山道」の起点を示す石標。行人橋は「聖域への入口」だとも言える。

 「 崖家造り 」の家並みが正面に見える、三十三観音堂。

 川西地区。知らないと気がつかない道端の石碑。二つに割れて半ば草に埋もれているが、よく見ると「六丁め」と彫られている。行人橋を起点とした距離が分かるようになっているのだ。

 「御影堂」と書いて「おえど」と読む。知らないと「みかげどう」と読んでしまうだろう。普寬行者の高弟である順明(じゅんめい)行者が奉られており、社の中には順明行者の木像が安置されている。

 しばらく歩くと、舗装道から古道が分かれる分岐点に出る。ここからは落ち葉を踏みながら古道を進もう。

 「河合権現」という道標がある場所が、(御嶽古道の上では)ここが事実上の「やくぼ峠」になる。清見山までは往復 30 分ほどだが、今回はスキップ。

 こちらは車道の「やくぼ峠」。時間の都合から車道部分をスキップしてバスで移動することに。

 合戸峠の登山道入口までマイクロバスで移動し、林道を歩き始める。実際の古道は左手に見える沢の対岸を通っていた。

 今回のツアーには御嶽山の火山活動を専門に研究しておられる名古屋大学の國友先生が同行していて、露頭が見えると地質学的な説明をしてくださる。この場所にはとても不思議な露頭がある。稜線の近くなのに、硬い岩盤ではなく、砂や礫の混じった非常に脆い地質が地表に露出しているのだ。

 合戸峠(あいどとうげ)に到着。晴れていればここから御嶽が拝めるのだが、この日は生憎の空模様。時折ポツポツと雨粒が落ちてくる。参加者が座っているのは、ここにあった鳥居や石灯籠の礎石など。

 これは明治時代に撮影された同じ場所の写真。人がたくさん通るようになれば鳥居が再建されるかもしれないという妄想を抱いたが、夢のまた夢だろう。

 峠ではドローンの撮影実験も実施。晴れていれば雪をいただいた御嶽山の絶景が撮れたのだが。

 三岳方面への下りはかなりの急勾配。積もった落ち葉に滑って尻餅をつく人も。

 ここは知らないと見過ごしてしまう大切な場所。一合目の遙拝所にある石碑を切り出した跡だ。

 よく見ると、石を割ったときの鑿(のみ)の跡が残っている。

 これが後で紹介する遙拝所の石碑。こんなにおおきな石材をあの山の中からよく運び出したものだと感心する。

 三岳地区の名所「一本桜」。子供たちの遊び場になっている。

 覚明行者ゆかりの大泉寺。

 この日は特別に本堂を見せてもらう。

 本堂のふすま。よく見ると、陰陽マークの下に薄く「菊の御紋」が浮き出ている。廃仏毀釈のときには寺院で菊の紋を使うことが禁じられた。それで菊の紋を隠すために陰陽マークなどを上から貼り付けたのだが、長い間にそれが自然に浮き出して見えるようになった。

 遙拝所の入口。ここが御嶽山の一合目。

 石碑。太さが 1 メートル四方、高さも 5 メートルはありそうだ。重さはおそらく 20 トン近くあるだろう。先ほどの切り出し跡まで、少なくとも 2km はあるだろう。当時の人々が持っていた御嶽登山への熱い思いが伝わってくる。

 参道から若宮を見たところ。この参道の石畳も御嶽古道の一部になっている。

 車道ができる前は、この急坂に石段が設けてあったそうだ。

 御嶽神社の若宮に到着。立派な社殿や、右手には神楽の舞台もある。

 社殿の内部。絵馬がたくさん掛けられている。いつもは無人なので、貴重な絵馬が盗難に遭わないかちょっと心配になる。

 若宮から五分ほど歩いたところに、縄文時代の住居跡が保存されている。一万年も前からここに人が住んでいたとはちょっと信じがたい。

 最後は里宮にお参りしてこの日のツアーは終了。御嶽古道だけでなく、御嶽の歴史や付近の地質まで、幅広い情報が得られる貴重な体験となった。

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