【冬も歩こう中山道】シリーズ第2弾。三密を避けながら楽しく歩ける冬の信濃路!
福島宿から宮ノ越宿までの区間には、前回の塩尻峠のように特に見晴らしの良い場所もなく、また奈良井宿のように江戸時代の雰囲気を濃厚に残す家並みもない。それでも歴史の道として中山道を歩く人にとっては、絶対に外せない魅力的なスポットがいくつもある。キーワードは「木曽義仲」だ。
中山道が五街道の一つとして本格的に整備されたのは江戸時代の初期。しかし木曽路を通過する街道自体は古代から存在していた。木曽谷には縄文時代の遺跡もたくさんある。当然ながら平安時代や鎌倉時代には人々の往来も多くなり、平安末期の戦乱期には木曽を舞台にした激しい戦闘もいくつか記録されている。
そしてなにより、宮ノ越宿のすぐ近くは『平家物語』で「朝日将軍(あさひしょうぐん)」と称される木曽義仲が幼少期を過ごした中原兼遠(なかはらかねとお)の屋敷跡や、義仲が旗揚げをしたと伝えられる旗揚八幡もある。中山道を歩きながら、はるか平安時代にも想いをはせてみたい。
このシリーズでは、京都から江戸に向かって歩いている。したがって JR 木曽福島駅の改札口を出て右方向に進む。写真で中央に見えている下り坂は、昭和になってからバスでの通行用に整備されたものだ。本来の中山道はずっと急勾配で、この写真で右上に見えている日産レンタカー事務所の辺りから真っ直ぐに下っていたらしい。
10 分ほど歩くと左手に小さな橋が見える。これが八沢橋(やさわばし)。この橋を渡ると福島宿の桝形(ますがた)になっており、突き当たりを直角に二度曲がる。
「上の段(うえのだん)」の町並み。有名な「神輿まくり」を紹介する「まつり会館」などがある。古い町並みの真ん中にある「肥田亭」では地元食材を使った和食ランチがおすすめだ。
「入鉄砲、出女」の厳しい取り締まりで有名だった福島宿の関所跡。番所の建物が当時のままに再現されており、江戸時代における関所の役割を知るのにとても便利な施設になっている。
関所橋(せきしょばし)。現在も稼働中の小さな発電所が見える。ぼくが小学生の頃、この場所には「筏橋(いかだばし)」という木の橋が架かっていて、台風のときに流された記憶がある。江戸時代には筏を繋いでその上を渡っていたので、その名がついたと言われている。
木曽町中学校。ぼくの在校中には「福島中学校」と呼ばれていた。福島町が、三岳村、日義村などと合併して木曽町になってから現在の名前になった。この写真の右手奥に見えているのが「木曽大橋(きそおおはし)」だ。飛騨高山に通じる国道 361 号はこの橋から伸びている。遠くに見える谷間は昔から飛騨街道が通る場所。飛騨一ノ宮と関わりの深い「水無神社例大祭」では、この場所に立って祈りを捧げる。
栗本地区の入口にある道標。
栗本の天神様。古くは「山下天神」と呼ばれていた。義仲の養父である中原兼遠が、義仲のために勧進した学問の神様だ。つまり 1000 年近くもここにある由緒あるお宮。付近に中原兼遠の屋敷跡や義仲元服の松なども残されている。
中山道はこの橋を渡る。
日義地区に入ると中央アルプスが良く見える。中央に見えるのが標高 2956m の木曽駒ヶ岳だ。
振り返ると、木曽川対岸の山の中腹に見える「明星岩(みょうじょういわ)」は江戸時代からよく人目を引いたようで、絵図などにも記録が残っている。
中山道の中間点。江戸からも京からも六十八里二十八町の場所。ここから国道 19 号に通じる横道を行くと 5 分ほどで「道の駅・木曽駒高原」に出られる。トイレ休憩にもよいだろう。
庚申塚でしばしば見られるのが青面金剛(しょうめんこんごう)像だ。これは安政年間(江戸末期)のもの。青面金剛明王とも呼ばれる。仁王様か不動明王のような姿で、足下には邪鬼を踏みつけており、「見猿・聞か猿・言わ猿」も見えている。日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に生まれてきた仏像だ。
宿場ではなかったが、この辺りの民家にもかなり立派な「卯建(うだつ)」が見られる。
鈴なりの柿。ちょうど収穫をしているところで、おばさんが「猿が来る前に採らんとな」と言いながら笑っていた。猿や熊などの野生動物にとって、柿は冬に備える大切な食料だ。
中山道は緩やかに曲がりくねっているので、鉄道に寸断されていくつも踏切がある。河岸段丘上の踏切には、なんともいえない雰囲気がある。
旧田中家の住宅。江戸の宿場町の伝統的な建築様式をしっかり伝える建物として貴重。宮ノ越村は、腕のいい大工がたくさんいることで有名だった。以前は中山道を歩く人たちの休憩場所として解放されていたが、現在は閉鎖中。
本陣跡。ここも現在は閉鎖中。
木曽一族の菩提寺である徳音寺を、蓮池から見たところ。
徳音寺の境内。「巴御前(ともえごぜん)」の銅像がある。
今はリニューアルで閉館中の義仲館。徳音寺のすぐ近くにあり、駐車場やお休み処などもあって雰囲気がとても良い場所。時間があれば、「のろし台」へも 20 分ほどで登ることができる。
木曽中一宿の中でも、この区間は難所もなくて歩きやすく、交通量の多い国道を歩く区間もあまりない。広々とした明るい街道をゆっくりと歩くことができる貴重な区間だ。宮ノ越宿の散策が終わったら、JR宮ノ越駅から、奈良井宿、塩尻宿、さらには下諏訪宿方面へと旅を進めよう。