自分が死んだ後、どんな風に葬ってもらうのかは誰でも気になるところ。先祖代々のお墓に入るのが一般的で、長男である僕もそうなる可能性が高い。自分の代で新しく作った墓に入る場合も含めると、99%以上の日本人が、好むと好まざるとに関わらず、寺や霊園などの墓地に設けられた墓に入る運命にある。
最近では、樹木葬とか、あるいは飛行機や舟から海の上に遺灰を撒いてもらう「散骨」というオプションもある。散骨を容認する人は80%以上、自分も散骨されたいと希望する人も50%を超えているが、実際に散骨を実行できる人は実は1%に満たないというデータもある。
僕が最近、「これだ!」と思ったのは、宇宙葬というアイデアだ。海もいいけど、宇宙に遺灰を撒いてもらえるなら気分は最高だな。そう感じるのは僕だけではなくて、宇宙葬を希望する人はけっこう大勢いるらしい。
宇宙葬を請け負う業者は、顧客の遺灰を小さなカプセルに詰め、それを集めて人工衛星で地球を周回する軌道に打ち上げる。顧客の遺灰は美しい地球と雲一つ無い宇宙空間を数ヶ月間ゆっくり眺めた後、大気圏に突入して燃え尽きる。家族は最後に燃え尽きる僕を見送ることができそうじゃないか。すばらしい。しかもお一人様30万円という安さ。僕が死んだらこれにして欲しい。
大気圏再突入のイベントは、もちろん他の何十人かの顧客と一緒になるだろう。しかし特別料金を払えば、単独で大気突入させてもらえるかもしれない。再突入の時間と場所を正確に調整できれば、家族や希望する知人が集まって「お別れ会」ができる。流れ星となって燃え尽きる僕にさよならが言える。潔くて、美しい。しかも高熱で燃え尽きてしまうので残り滓もなく、デブリで宇宙空間を汚すこともない。みんなに笑顔で見送ってもらえるのだ。
いいことずくめのようだが、やっぱり問題はある。ちょっと空しさが残る。宇宙葬とか散骨という方法には、どうせ人間なんか塵から生まれるんだから塵に返ればいいじゃないか、という考え方が根底にある。本当にそれでいいのか。残った家族や子孫が僕のことを思い出して手を合わせたくなったとき、墓がなくても大丈夫だろうか。もし人間が死んだ時に魂が残るとしたら、その魂達が住む異次元の世界と、この世との関係の中で、墓は何らかの役割を果たしているかもしれない。・・・考えるときりが無いので、この辺で止めておこう。