全長 15km の旧飛騨街道トレイル(後半)- 関谷峠~西野峠

 「前半」の記事 では、飛騨側の小日和田地区を出発して県境の長峰峠を越え、40 年以上人が通っていなかった山道を復活させた、約 2km の区間を通過して西又地区に到達した。後半では、関谷峠(せきやとうげ)、西野峠という二つの峠を越えて、旧開田村の中心地である把之沢まで歩く。

 車道から旧飛騨街道に入った場所。草刈りをする前は、ここも背丈を超える雑草とススキに覆われていた。きれいにしてみると、なかなか雰囲気のある遊歩道だ。

 関谷峠に向かって登り始める。長峰峠に続いて二つ目の峠道。造成した区間に比べると、ずっと歩きやすい。カラマツ林に、時折赤松や黒松が見られ、そしてクヌギなどの落葉樹が混じる。

 道幅が広くなると、かなり街道らしい雰囲気だ。

 標高 1332 メートルの関谷峠。

 人里に近づくと、道幅が広くなって車の轍も見える。

 開田高原らしいススキの道を歩いて下向(しもむかい)地区へと向かう。

 駒背原(こませばら)には馬頭観音を始め、数体の石仏がある。開田高原は木曽馬で有名な馬の名産地。馬頭観音もあちこちにあり、馬に関わる地名も散見される。この近くには、馬の墓場もあったという。木曽福島で開かれる馬市には、ここを通ってたくさんの馬が引かれていったに違いない。

 この辺りでは、どこからでも御嶽を望むことができる。

 「ぽんと晴れ」という旅館。この旧飛騨街道沿いにある唯一の宿泊施設だ。

 開田村が木曽馬の産地として繁栄していた頃の大地主「山下家」の住宅が記念館として公開されている。また、しっかりした造りの山下家の土蔵が「開田考古博物館」となっている。以前の記事、開田高原の二峠を歩く でも紹介しているので、興味のある人は見て欲しい。考古博物館では、有史以前から人が住んでいた開田高原の成り立ちを知ることができる。

 振り返ると御嶽山。先ほど長峰峠から見た姿とは大違いで、いつも見慣れた木曽御嶽に近くなってきた。この広々とした開田高原は、すべて数十万年前の御嶽山の噴火による火山灰などからできている。

 三つ目の峠である「西野峠」に登り始める。この峠は歩くハイカーがけっこう多く、道もしっかり整備されている。外国人にも人気のウォーキングゴースだ。

 こんな分岐に出る。右に進むと、最高地点(1422m)の城山展望台へと向かう。左奥の小高いところに西野峠の標識が見えている。

 城跡展望台へ行くには、最後に急登が待っている。

 1422 メートルから見る御嶽はぼくのお気に入り。

 頂上付近の拡大。斜面につき始めた雪に薄日が差して、なんとも言えない美しさだ。

 旧街道の雰囲気が残っていて好きな場所。

 他では見たことのないほど立派な飛騨街道の石碑。開田村は、木曽町と合併する前から観光には力を入れていた。ちょっとした道標や、史跡の保存状態、景観を美しく見せようとする取り組みなどからもそれがうかがえる。さすが「日本一美しい村」を標榜するだけのことはある。開田村は気温が低くて農業には適しておらず、戦後になって農耕馬が不要になってからは観光で生きて行くしかなかった。

 把之沢(たばのさわ)地区の風景。左手に見えるのが先ほど歩いてきた西野峠と展望台。

 西野峠は、旧開田村役場(現在は木曽町役場の開田支所)からも良く見える。

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