水無神社例大祭 – みこしまくり(木曽町)

 木曽路のちょうど中央に位置し、古くから中山道の要衝でもあった木曽町。この町では毎年 7 月 22 日と 23 日の二日間に水無神社の例大祭が行われる。これが「天下の奇祭」といわれる所以は、総重量 400 キロという御輿を毎年新しく作り、それを町中あちこちでゴトンゴトンと縦横に転がして壊すからだ。木曽では転がすことを「まくる」と言うので、この行事は「神輿まくり」と呼ばれている。

豪快なみこしまくり

(日本語のナレーション付、再生時間:8分15秒)

 動画で豪快な「横まくり」と「縦まくり」を見ていただいたところで、なぜ神輿を「まくる」のかを簡単に説明しよう。昔々、木曽福島宿に惣助(そうすけ)と幸助(こうすけ)という信仰心の厚い兄弟がいた。この二人が飛騨一ノ宮にある「水無神社」へ木工の仕事に出かけているとき、その地に起きた戦乱で御神体が危うくなった。

 二人は御神体を戦火から守るため、これを小さな神輿に入れて木曽へ運び出そうとした。ところが飛騨と信濃の国境まで来たところで飛騨の国人に追いつかれそうになる。そこで二人はお互いに「行くぞ、惣助!」とか「よしきた、幸助!」などと声を掛けあいながら神輿を峠からゴロゴロと転がし落とし、やっとのことで福島宿までたどり着いて水無神社に奉納したという伝説だ。

 水無神社の境内。町から離れているために訪れる人も少なく、落ち着いた佇まいを見せる。惣助と幸助の伝説が史実かどうかは不明だが、御神体が飛騨一ノ宮の水無神社から木曽の水無神社に奉斎された(移された)ことは間違いない。いずれにしてもそれ以来、木曽の人々は兄弟の偉業を称えて、毎年の祭で神輿を「まくる」ことにしたのだ。

 小学生が挽く山車が賑やかに町内を巡る。お囃子の演奏にも小中学生が参加しており、頼もしい限りだ。

 いよいよ御輿の到着だ。白木が日に映えてなかなか見事だ。御輿の担ぎ手として若い人が不足しているのはどこの祭でも一緒だろうが、木曽町でもリーダー格の担ぎ手はあまり若くない。

 準備が整った御輿。すでにご神体や金色の飾りが取り外されて、壊される寸前の美しい姿。大工さんが一ヶ月以上かけて造り上げたもの。乾いていると簡単に壊れてしまうので、入念に水をかけて湿らせてある。取り外した金属の飾りは、縁起物として住民に分けられる。

 大工さんが御輿の準備作業をしている間、若い衆は、これから数時間にわたる重労働に備えてしばしの休憩。

 さて、いよいよ御輿まくりの本番だ。飛騨街道が見える谷間に向かって水無神社の祭主と御輿の担ぎ手たちが祈りを捧げる。

 神輿は夕方から夜にかけて横まくりを繰り返しながら八沢通から本町通を練り歩き、最後に交流広場の前で「縦まくり」を披露する。以下は縦まくりの4連続写真。

 こうして木曽の夜は更けて行く。

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