魅力いっぱいの大鹿村(その三)- 中央構造線博物館

地球&生物, 短編&エッセイ

大鹿村にある中央構造線博物館

博物館の公式ホームページ

 博物館一階の展示室正面にある画期的な展示物。レプリカではなく、なんと中央構造線の露頭をそのまま固定した実物なのだ。博物館の北数キロのところにある「北川露頭」から、地層の境界が見える部分を剥ぎ取ってきて、それを特殊な方法で固めてある。質感といい、色といい、まさに本物の迫力がある。

 中央構造線は地面の下にある地層の境界線なので、通常はぼくらの目に直接触れることはない。しかし浸食や崖崩れ、あるいは大きな地震などによって、地下の境界線が地表に現れることがある。そうして現れた地質面を地質学用語で「露頭」と呼ぶ。

 この写真は採取現場である「北川露頭」をぼくが 12 月に撮影したもの。侵食が激しくて崩れやすいこの露頭を、標本にして博物館に展示することになった。博物館で解説を担当している学芸員の河本さんに標本作製当時のお話を伺ったところ、露頭を現場で剥ぎ取って固定するのはかなりの力業だったらしい。どんな風にやったのか詳しく知りたいものだ。

 この図を見ると、長野県南部の地形と中央構造線の位置がよく分かる。中央構造線が作る真っ直ぐな谷の真ん中にあるのが大鹿村だ。このカシミール 3D で作った案内板は、美和湖畔の溝口路頭に掲示されているもの。美和湖という名前だが、実は川をせき止めて作ったダム。こういうダム湖の湖畔には、たいがい「ダムの底に沈んだ村」の昔の写真が展示してある。しかもダムは想定を越える堆積物で埋まってしまって、本来の目的を果たせていない場合がほとんど。そんな想定しかできないなんて・・・、全く寂しい話だ。


画像:地質調査総合センター(Geological Survey of Japan, AIST)

 これが中央構造線の全体像だ。見ての通り、大鹿村がある長野県は本当に右の端っこに位置している。しかしその大鹿村に、日本で唯一の「中央構造線博物館」がある。たぶん、フォッサマグナ地域に近いとか、首都圏からのアクセスが良いとか、そんな理由でこの場所に建てたのだろう。こんな立派な施設が県内にあるのはまったく幸せなことだ。

 上の地質図と合わせて、紀伊半島と四国の衛星画像を順番に見てみよう。中央構造線の全体像を立体的・視覚的につかめるだろう。

 紀伊半島のど真ん中に、中央構造線に沿って東西に走る谷がはっきりと見て取れる。その渓谷に沿う形で、伊勢湾側には松坂市、半島中央部には奈良県の高松塚古墳、五條市、そして紀伊水道側には和歌山市が並んでいる。

 四国でも中央構造線に沿った浸食谷が明瞭に見られる。谷に沿って、東から徳島市、瀬戸内海に面した新居浜市、そして松山市が並んでいる。中央構造線付近は断層の動きによって地質が脆くなっているため、こんな風に一直線に浸食されるのだ。

 中央構造線は、東から西へ日本列島を縦断する長大な断層帯とは言うものの、「一つの大きな断層帯」としての活動は数千万年前にすでに終わっている。それでもやはり地層の境界には違いなく、現在でも中央構造線に沿って多くの活断層が活発に動いていて、地震も頻発している。


画像:地質調査総合センター(Geological Survey of Japan, AIST)

 中央構造線を境として、日本海側を「内帯」、太平洋側を「外帯」と呼ぶ。内帯は主として領家(りょうけ)変成帯の岩石から成っており、外帯の方は主として三波川(さんばがわ)変成帯の岩石から成っている。この「領家」とか「三波川」というのは発見場所の地名を便宜的に付けたもので特に意味は無い。変成帯 A、とか変成帯 01 と呼ぶのと同じことだ。

 博物館の前庭には、こんな風に内帯と外帯に分けて様々な岩石の標本が配置されている。真ん中のラインが中央構造線。向かって右側が三波川変成帯、左側が領家変成帯になっている。各変成帯の特徴がはっきり現れていて、岩石の表面の複雑な模様や色を見ているだけでも楽しい。

領家変成岩

高温低圧型。ジュラ紀の付加体の岩石が、白亜紀に地下 10km~15km で高温低圧の条件下で広域変成岩になり、のちに地表に露出したもの。高温型の広域変成岩と、地下でゆっくり冷え固まった花崗岩などの貫入岩から成る。黒雲母が混じって白と黒の縞模様となった片麻岩なども含まれる。
 ぼくの地元である木曽地方も領家帯に属しており、例えば木曽の名所である「寝覚ノ床」に見られるのは、典型的な白っぽい花崗岩を主体する地層だ。

三波川変成岩

低温高圧型。三波川変成帯の岩石は、ジュラ紀の付加体の岩石が、白亜紀に地下15~30kmで低温高圧の条件下で変成岩になり、のちに地表に露出したもの。板を重ねたような「結晶片岩」類の岩石が主体。

 領家帯も三波川帯も、1 億 5000 万年以上前の中生代ジュラ紀に、太平洋から沈み込んでくる海洋プレートが剥がれて大陸に付け加わった「付加体」がその土台になっている。ただ、単純に付け加えられるだけではない。その後の造山活動や断層のずれ、さらには火山活動などによって、各地の地層は「曲がったり、ひっくり返ったり」で複雑な様相を呈している。

 ちなみに、日本最古の地層はというと、以前は飛騨山脈にあるオルドビス紀の地層(約 4.9~4.4 億年前)だと言われていたが、2008 年になって茨城県日立市北部の山地でカンブリア紀(約 5.4~4.9 億年前)の地層が発見され、現時点ではこれが日本最古の地層となっている。


画像:地質調査総合センター(Geological Survey of Japan, AIST)

 上の図の黄色の部分がジュラ紀における日本列島。日本はまだユーラシア大陸にくっついており、西と東に分断されている。中央構造線の部分は、矢印のように横ずれ断層になっている。はっきりした一本の境界線ではなく、図のように複数の断層が複雑に組み合わさっていたようだ。

 日本列島は太古に「ゴンドワナ大陸」つまり南極やオーストラリアの周辺にあったとする説もある。発見された日立市のカンブリア地層の分析によって、日本列島誕生のシナリオに新たな展開があるかもしれない。


画像:地質調査総合センター(Geological Survey of Japan, AIST)

 領家帯と三波川帯ができたときの位置関係は上の断面図にようになっていた。これら二つの変成帯が中央構造線を境界として接するためには、水平方向で 60km、上下方向で 20km の大規模な断層活動が必要となる。元々は上下に分かれていた二つの地層が地表で接しているのだから、よほど大規模な地殻変動があったと思われる。

 二つの変成帯がどのように動いたのか・・・。繰り返される地震によって大規模な逆断層ができたのだと思われるが、現時点でも決定的な回答は得られていない。中央構造線の成因は地質学界の大きな謎として残されている。

 この記事を読んでくださった方々が、大鹿村をそして中央構造線博物館を訪れてくれれば良いなと思う。ちなみに、博物館の見学チケットは大人が 500 円なのだが、1500 円で一年間何回でも入館できる会員カードが買える。何度訪れても楽しい博物館なので、是非・・・。